nfbanana’s diary

どこかの誰かの戯言

中締め

 

大したご報告では無いのですが

 

このブログを持って更新を一旦終了する事にしました。

 

といっても、あくまで「はてなブログ」での更新を控えるという事です。

 

なーんだ、そんな事か

ぐらいの感じで読んでいただいて大丈夫です。

 

簡単に言うと

自分の身辺整理があらゆる面に置いて出来なくなってしまった事が主な要因です。

別に誰かにやれよと言われてやっているブログでは無いので、勝手にすればいいだけだし

知らないよって言われればそれまでなんですが

 

去年の10月辺りからやらなきゃいけない事もやりたい事も全てが手につかなくなってしまう様になってきたのもあって

一時期、お世話になっていたメンタルクリニックに通い直してみようと決めたところ、そこの先生に

 

「おそらく対人恐怖症になっているのかもね」

 

考えたことも無かった事を言われて

休日は本当に何もしたくなくなっている事が圧倒的に多くなり、家のベッドで横になっている方が「楽」というより「安全」に感じてそこからも動かない事が多くなってた日々を回想しました。

去年の10月ぐらいから忙しくなり家に帰ってもボーッと座椅子に座るぐらいで明日を待っている感覚。

それを辞めなきゃいけない事ぐらい分かってるんですが、心も体も全てが追いつかなくなりました。

 

もう一つは一つ決めた事を成し遂げるだけのエネルギーや体力が圧倒的に無くなっている事からです。

ラジオにメールを送る事を趣味としているのですが、去年の10月からどの番組にも1通送れたらいい程のレベルで

力を特に入れていたTBSラジオ山里亮太の不毛な議論」にも頑張っても1通。

本来、言わなくてもいい事だとは思いますが

言いたいこと、言わなくていいこと、言わなきゃいけないことの判別もつかなくなった結果が招いたのが

対人恐怖症だと思ってます。

 

毎朝7時には起きなきゃいけないのに起きれないし

身体はとてつもなく重いし

何かと重く捉えがちだし

何をやっていてもどことなく落ち着かない。

 

全てにおいて内面的なことである故に

行動力、体力、気力が他の人よりも圧倒的に低すぎるなぁと実感してきたためにグチャグチャした頭の中の整理をすべくブログを中締めとさせていただきます。

 

ラジオが好きなのにどうでもいいやが強くなり

音楽が好きなのに何も頭に入って来ないし

ダイエットを決意したのに貪るようにご飯を食べてみたり

去年の10月あたりからとてつもなく重い身体を改善すべくマッサージに行くまでに4ヶ月も躊躇したり

これをやっておいてと頼まれたことが出来ないではなく分からないまま放置したりなど

 

全てにおいてルーズさが際立ちどうでもよくなってしまう事が異常なまでに多過ぎて何も出来ていないのでまずはこのブログを中締めします。

 

 

と言っても、「note」ですぐに再開します。

まーた重く書いちゃって。

 

 

noteの方がどちらかと言えば反応が分かりやすい感じがあったのでそちらに移行するだけなのにねー。

 

対人恐怖症の自分にどうかnoteを通じて「対人」してやって下さい。

以上をもって挨拶と変えさせていただきます。

ご静聴ありがとうございました。

スピーチとスカートは短い方がいい。

 

 

出来たらnoteでは「キツイ」「苦しい」「辛い」などは見せない文章を心がけます!

キャー!

頑張ります。

 

P.S

このブログは何かしらで使いますのでそれまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイムマシンとドロップキック-拾うまでもない話

2020年を駆け抜けた皆様大変お疲れ様でした。

もちろん皆さん大変だったはずです。

自分自身も何が出来るかに翻弄された一年でした。

 

そんな中で嬉しかった超個人的ないくつかの事を。

 

  • ラジオにて長文系統のコーナーにて採用

菅田将暉オールナイトニッポン」内のリスナーから心温まるストーリーを紹介する「ショートシャンクの空に」や「山里亮太の不毛な議論」内のランキングを紹介する「何でもランキング!初見でドンッ!!」など自分がいつかこのコーナーで読まれてみたいなぁ…と思っていたコーナーで読まれたのは嬉しかったです。

 

ショートシャンクの空にでは

・小学生が抱くとある疑問を将来の夢という作文で

・チケットを用意する事が出来ませんでした

というネタメールを採用していただきました。

生意気ながら小説家や脚本家のプロットを書いている気分を味わえるコーナーなのでここにはコンスタントにまだまだ送りたい。

 

なんでもランキングでは

・イロモネアでサイレントの代わりになるものランキング

所ジョージ大ファンの土屋太鳳のツイートランキング

橋本愛湊かなえ、自分の共通項ランキング

・真面目過ぎる男の子の邦楽感想ランキング

など。

もう全然ダメだなぁ…となっていて諦めていたこのコーナー。

でもやっぱり読まれたいとなったのでとりあえずしばらくメールを送らず読まれている人のメールに耳を傾けたらまぁ面白いんですよね。

でムチャクチャな様で実はちゃんとしっかり考えてる。内容はムチャクチャ。

好きなコーナーだったのでもうちょっと考えたかった!

 

ラジオで読まれたメールで他に嬉しかったのは…

・「エレ片のコント太郎」片桐さんに向けた思い

・「YOASOBIのオールナイトニッポン」たった5通のうちの1通が

・「山里亮太の不毛な議論」毎年恒例夏の風物詩大喜利甲子園にてディル大三校に自分なりに貢献

同じく山里亮太不毛な議論内にてコーナー総決算回うちあてじゃないラストメール

・「オードリーのオールナイトニッポン」初採用は後頭部ゴリゴリ打ちつけ大喜利大惨敗

もっとあるとは思ってますがパッと振り返られるだけでもこの分。自分なりに満足しつつまだ出来た部分も

 

 

 

  • お笑い怪獣と

事件です。事件でした。

なんとあのお笑い怪獣、明石家さんまと電話で喋らせていただいたのです!!!

小さい頃から見てたあの人と?

さんまさんのニッポン放送の特番にて。

その日の昼にメールを何気なく送りいつも通りの日々を過ごしていたら夕方にスタッフさんから電話が。

『はぁ!?』ですよ。

震えながら恋愛エピソードを受け止めてくれる若。

時折短い自分のエピソードも交える若。

ツッコミ入れてくれる若。

それ以降TVに映る度にさんまさんを見ると「この人と話したんだぁ…」となります。

 

 

 

  • 数々の交流

今年はコロナ禍もあった事からTwitter上での交流が盛んになったかなと。

ひょんな事からドキュメンタルを勧めた人やツイキャス繋がりからLINEを交換したり偶然地元が一緒という事が分かりそこからご飯に行ったりなど。

出来る事は制限があっても楽しくは自分で出来たかなぁと。

 

 

 

 

もちろん他にも色々とあるでしょうが

中々と身動きの取りにくい一年になった事は皆さんも身を持って体験したはずです。

お疲れ様でした。

だっふんだ。

 

 

どうですか、皆さん来年の目標とかございますかー?

はい、「面倒くせぇなぁ!」は禁止です。

 

 

 

とりあえず自分の中で来年やる事を。

  1. 日記をつける
  2. noteにて1ヶ月に一度エッセイ的な文章を書く
  3. ジムに通う
  4. 隙間見つけて読書、漫画、アニメ、バラエティ、何でもいいので摂取

 

 

日記は一日を通して「あれ、今日何やってたっけ!?」ってなるから。

エッセイは若林さんにゴリゴリの影響を受けて。

ジムは現在ダイエットしている事からちゃんと本格的にと。

で最後は単純に暇を持て余すなよ自分!言うことですわ。

という事で来年頑張りまーーす。

 

 

 

最後に。

別に言わなくてもいい事なのですが

昨年の9月まで大学生だったのですが

辞めて現在は地元で働いています。

 

これをこのタイミングで言ったのは至ってシンプルな理由で

言いたく無かったからです。

いつかラジオのテーマメールか何かで触れられるようになればいいやと思ってたのですが読まれなかったなぁ。

辞めた理由を上げるとすれば

馴染めませんでした。

昔から環境が変わる度に

人との関わりが変わる度に

身構えて人見知りを発揮して見事なまでに

「怖い人だと思ってた」と言われてきました。

学校という『同年代の人間が当たり前のようにいる枠組み』から外れた途端

友達の作り方から考え直す事になり

彼女なんて作り方とかっていうレベルではありません、出来た事がないですから。

 

そしてこの一年で思い悩んだのは

人と繋がる凄さと難しさ。

仕事が立て込み友達が皆、忙しくなった今年。

自分の事などで手を汚す訳にはいかないと悩みを人に話さず話せなくなった結果、気持ち的にパンパンになった11月頃。

以前、通っていたメンタルクリニックにまたお世話になり初めました。

 

人に悩みを話せなくても

友達だと思っていた人が急に音信不通になっても

祖母が手術をしても

 

意外と生きてこれてたな自分。

あぁ、良かった。

 

後頭部を頭から打ちつける事

僕の部屋は僕を守るけど

僕の事を一人ぼっちにもする事を学んだ一年でした。

 

何年かぶりに出身高校に行ってみたのですが

日曜日なので誰も居ませんでした。

当たり前だけど

過去の事に執着してる場合ではないと気づいたので

サカナ、動きます。

 

 

タイムマシンで見に行った自分の過去に

秩序の無い過去にドロップキック。

 

 

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ボリウッドザコシショウさん、リトルフォレストさんと食べにいったモツ鍋。

地元が同じと知れて嬉しかったです。
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これは…良い写真じゃないすか?

 

 

2020年、ミッフィーちゃん

この後、またどこかで皆さんとお世話になりにどこかで会いましょう、アディオス。

 

 

P.S.ニンテンドーSwitch今年買いました!

Among usって何!?

誰か遊んでやって下さい。

 

 

後頭部を打ちつける一年にします。

長崎県 RN 緑のサカナ

 

 

7.トラウマ-拾うまでもない話

苦手な食べ物、小さい頃の経験からこれが不得意など誰でも一つぐらいはあると思います。

 

 

自分は恥ずかしい話ですが女性恐怖症です。

そんな病気は無いけど、もう断定します、ハッキリ言います、そういうやつです。

 

 

中学の時、給食時間にグループで給食を食べていたら、好きな人のイニシャルを言うという流れに。

その時、自分も本気では言ったのですが何故か自分がその人を好きという事実と噂だけが1人歩きしてしまうことに。中学の時の自分はいわゆるいじられ的ポジションにいたのも大きかったんだと思います。

周りの友達にそそのかされて掃除時間に何故か好きな子に告白するという流れになってしまいました。2人きりにさせられその子にハッキリと目を見て「キモっ」と言われたのが思えば始まり。

もちろん中学生というのもあったのでしょうがあまりにもストレートな言葉に後から思い返せば、かなりショックでした。

まぁその子は美人で美人で美人だったもので。

同じ野球部で小学校が同じだったやつが何故か自分に太ももの内側にホクロがあるという情報を教えてきたことがそういえばあったな。

余談ですが自分の中学は学年が上がるごとにクラス替えが毎回行われ、学年全体で100人弱いたので3年間同じクラスになる可能性は結構低めなのですが、自分が唯一3年間一緒だったのはその子だけでした。

今でもたまに同級生とその子の話題になると「話しかけやすくていい子」と友達は言いますが、自分からしたら「自分が話しかけてはいけない人」といった印象でしかなく。

これが第一トラウマ。

 

この事から自分が学んだ教訓。

 

基本、女性は男性より強い言葉で強く接する人が多い上に興味無い人ほどその強さのHP(ヒットポイント)は増す。

また、実際に好きな人がいたとしても当たり障りの無いちょうどいいラインの人を突くといった『本心を隠すべく所では隠しつつ、建前を上手く魅せなければならない相手を見極める技術と人に合わせる判断力』を、身につけておくとさらに得策。(あちこちオードリー又吉ベッキー回「本音と建前論」より参照)

 

 

 

高校の頃、いわゆる僻みや妬み嫉み目線ブームが全盛にやって来た時期。

同じクラスの茶髪でショートカットの子にいわゆる一目惚れ。

ですが、中学の時の経験からまずは綿密に計画を練ることを計画。計画の計画。その計画を高校に入って初めて出来た友達に相談&計画。CHAGEandASKA。

アルコ&ピース。

少しずつ相談を重ねていったのですが、最初は乗り気だったのに徐々に歯切れが悪くなる友達。しまいには「やめた方がいいよ」と言う次第。

そんなある日の学校帰り、別の友達とバスで帰っているとその友達が自分の携帯を奪って相談していた友達に「付き合ってるの?」と送った。

友達の態度が変化する少し前から確かに仲良くはしてた好きな子と相談していた友達。

その日の夜中、「付き合ってるよ」と返って来た時、膝から崩れ落ちるとはまさに言ったもので。

後から分かったのですが、周りの友達は自分がその子が好きだということを知っていて自分にだけ黙っていたような空気感だったようです。

 

そのLINE以降、しばらくその相談していた友達とは口も聞かない日々が続きました。しかし、このままではダメだなと思い自分から話し合いの場を設けようと決意。10日ほどの沈黙期間を経て話し合いをしようと自分から持ちかけたのですが、向こうは話し合いに応じず、更には態度が気に食わず喧嘩に発展。

次の日も学校に行けば変わらず教室内でイチャイチャする2人。この時期、教室にいるのが気まずくてとにかく登下校時に吐き気が止まりませんでした。高2になり、好きな子の方が別のクラスになり相談していた元友達とはそのまま同じクラスに。となると、その子は下校時にわざわざこちらのクラスまで出向くのです。まぁその時はいかに目を合わせないようにしたことか。

第二トラウマ。

 

この事から自分が学んだ教訓。

 

どれだけ深い仲でも人との関係性が崩れ去るのは一瞬。人との関係性を崩すぐらいなら自分の思いなんてのは押し殺して結構。我慢ならない程、関係性を崩してもいいと思う程の出来事かは1人で考えてから崩しにかかること。

 

 

 

 

高校卒業後、予備校に通うことになりこの一年は大学受験の為の一年だろうなと思い通っていたある日。

授業でたまたま隣になった子の筆箱にback numberのキーホルダーが。高校時代、吐きそうになりながら学校に行っていた自分が心の支えの一つとしていたのがback numberのANN。それをキッカケにback numberの楽曲にハマっていった高校時代を経て、出会ったたまたまの出会い。

しかし、その日はその人とは話せずに帰宅。

帰宅後、なんとかその人と話すきっかけが欲しいと考えた結果、自宅にあったback numberのロゴのシールを下敷きに貼り次の日は行くことに。

そして次の日、予備校に行くとそれに気づいたその子が話しかけてくれました。

そこからその子とは仲良くなりちょこちょこ話したりはしていたものの浪人生である身としてやはりタイミングは見計らうべきと毎日通いながら思っていました。なので、大学受験を終えてから告白をしようと決意。

しかし、その子は12月に別の人と付き合い始めました。しかし、お互いデリケートな時期ともあり自分からはなかなか「付き合ってるの?」と聞けずそのまま時は流れて2月。

季節はバレンタイン。

帰りのルートが一緒になり、地元の駅前を通るとバレンタインフェアが。

路面電車が駅前へと止まり、何故かまだギリギリ表面上、友達であるその子と自分はそこで降りる。

正直いえば付き合っていることは7割ぐらい分かりつつも残りの可能性に期待を寄せてチョコを選んでいる彼女に「彼氏にあげるの?」と平静を装ったフリして聞くと「うん」との返事。

ジェンガが思いっきり地面に叩きつけられるあの映像が自分の中にフラッシュバック。平静を装い買い物は続く。

 

彼氏へのチョコを買い終えたその子がちょっと待っててとどこかへ。

しばらくして帰って来るとその子は自分にチョコをくれました。買い物に付き合ってくれたお礼だそうで。

 

そして、時は流れて3月。

その子を食事に誘いました。

色んな話をして楽しかったことだけは覚えてます。そのこと以外は覚えていません。何故なら時期的にもホワイトデーということもあり、バレンタインのお返しをしようと試みていたこと。そしてそのお返しの中に手紙を入れて玉砕覚悟で告白をしようとしていたこと。そのことで頭がいっぱいでした。

楽しく喋りお互いのこれからの道にお互い幸せがあるようにと願うかのようなトークを繰り広げた最後、その子が電車に乗って帰っていく直前にお返しを渡し、電車に乗り帰って行く彼女を見送ったその日の帰りはback numberの世田谷ラブストーリーを聴いて帰りました。

しばらくしてからLINEでやりとりをしていく内に自分勝手に告白してしまったことに謝ると

 

「謝るぐらいなら告白しないで欲しかったかな」

 

まぁ、妥当かつ正論ですよね。

その1年半後にその子をback numberのLIVEに自分から誘ってみたことから(結果的には実現せず)から途切れかけていたLINEのやりとりを再開させ、そこから少しだけ会うことにはなるのですが待ち合わせ場所に彼氏を連れて来たことから「あぁ、この人自分のことはもうそういう風にはなんとも思ってないんだな」と思い知らされることに。

しばらくしてその子は自分とのトーク履歴から退出していました。

第三トラウマ。

 

このことから自分が学んだ教訓。

 

恋愛に順番など存在しない。

目の前の恋愛が成就しようと玉砕しようと、常にこちらの一方通行ぐらいに思いつつ。自己評価を高い所に置いていると自分の中で音を立てて壊れるだけなので7:3ぐらいの割合で慎重:大胆を。

(このエピソードで沈黙の金曜日で読んでいただき、さんまさんのニッポン放送の特番では生電話をさせていただきました。生きてるだけで丸儲け。)

 

 

友達に誘われた飲み会にて。

ずっとこの調子ではダメだということで、友達に誘われた飲み会で一念発起。

これまでの経験が災いして自分の口にチャックをかけてしまったまま飲み会は続く。

このままでは!ということで友達を間に入れてとある女性と仲良くなりました。トラウマをミルクレープの生地ぐらい重ねた自分としてはよくやった!と自分に言い聞かせ勇気を出してLINE交換。

お互いにサカナクションが好きで邦楽好きだということから話は弾み、さらには向こうは大学でバンドをやっているということで後日その子の大学におよそ2時間かけて向かい学祭でのステージを見に行くなど自分の中では上手くは行ってるつもりでした。

今までの経験からしつこく行かずでも粘り強くを心がけてLINEでは程よいやりとりを行い続けました。

自分の中ではこの頻度は3、4日に1回ぐらいだとは思ってたんですがこれはあるあるなのかたまにLINEに急に全く既読がつかない人っているんですよね。

返事を待って返して待って返してのラリーがある日から急に何か悪いことをしたワケでもないにも関わらず、既読もつかず返って来ずに。

それでも粘り強く3、4日おき程度に返事が返って来ずともLINEを送りました。

文字で伝えても上手く伝わらないですが、当時は脈ありと思っていたからこそここ掘れとばかりに何も見えなくなっていたのでこの頻度が適切だと思い込んでいたんですよね。

そしてしばらくしたら嫌われることに。

「お願いなんで私のこと忘れてください」

こんなセリフ聞くんですね。

自分で招いたようなものですが

第四トラウマ。

 

この事から自分が学んだ教訓。

 

落ち着く。

「自分が」ではなく「相手が」が大事。

あと女性は冷めやすい。

 

トラウマと言えば自分は数え切れないほどあります。

大小問わず言うならば

小さい頃に飲んだグレープフルーツジュースが苦くてグレープフルーツは未だに苦手だし、合宿所で出た納豆のせいで食べるのが遅くなり納豆も未だに苦手。

高校の頃、毎朝ワーキャーワーキャーブチ切れそうになるまで家から持ってきた雑誌を広げて騒いでいたクラスの女子のせいで2次元系やジャニーズには未だに拒絶反応を示してしまいます。(ジャニーズや2次元には罪は無いです)

 

 

トラウマってのは目には目を、歯には歯をでそのもの事態を避けて通っている以上は深く根強くしがみつくもので一度本当に向き合ってみないと浄化されないものだと思う。

人間には出来ること、出来ないことが大きく別れるものでトラウマを避けるとは即ち「出来ることを出来る範囲で出来る分だけやること」

正直恋愛しなくてもグレープフルーツや納豆を食べなくても2次元やジャニーズに興味を示さずとも生きてはいけます。

 

ただ、避けること自体は恥ずかしくなくてもそれを避け続ければいつかはそこに目線を向けることすら無くなるワケで。

 

第四トラウマ後、自分の心に一つ決めたことがありそれを今でも自分に言い聞かせています。

 

 

今後、プラスの事が起こればその時はそれを引き寄せた自分の手柄なのでその時は目一杯自分を称える。

逆にマイナスの事が起これば如何なる理由でも自分に1ミリでもあると思え。

 

以前、木村祐一さんがテレビで再婚した際に

「結婚した時は自分を目一杯褒めてあげないといけないし、離婚した際には自分が悪いと思わないといけない」と言っていました。

 

 

その為にもこうやって一度振り返って見ましたとさ。一度振り返って反省しないときっと同じことの繰り返しで腹が立ちムカつき落ち込みの最悪の輪廻転生。

やっぱりヘタクソなんですよね。

当時の自分は気づきもしてない自分の失態に今の自分はきっとムカついてるでしょうね。

 

ある人からは「童貞っぽい、童貞臭がする」なんてことを言われました。

恥ずかしいというかまず自信の無さとかは表情や態度に現れるようにきっと今の自分は対女性の能力がEなんです。もしかしたらそれ以下かも。

 

 

 

かつてあった恋愛を斜めから斬るブームの波に乗っていたはずの自分がその波から落ちたのか飽きたのかはたまたただただ疲れたのか誰かが惚気てもなーんにも思わなくなりました。

もちろんその波を偉そうに否定する気は無いし、それをやってる間は楽しかったりしたんだけどね。

ただ。

 

ここで書いたようなトラウマを誰もが分かってくれるワケじゃないし自分はこういう人間ですって100人いたら99人は知らないって思って生きないとそらずーーーっとこのまま。

 

 

一度振り返って過去のことをトラウマと認めてみることから始めよう。このブログからそうしよう。

 

 

過去の自分と能力に長けた人から学ばないと長距離走のトラックをずっと走っているような感覚で生きてしまうので。

 

 

ダさいけど好きっていう感覚が分からなくなっている今の自分。

もうよっぽどの事が起こらないと自分の心は動かないしあと何年かしたらこのトラウマも「言い訳」なんですよね。社会出たら関係ねぇんだよねここに書いてること。初対面の人からしたら「知らねぇよ!!!!」のラッシュラッシュ。

 

焦ってます。

 

 

コロナマジ邪魔なんだけど。

どうぞこんな情けない自分を嘲笑ってやってください。

もうその辺の感覚、かじかんで無いに等しいので。

 

 

P.S. Mr.ChildrenのエソラのMVキレイ過ぎるよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスケと七味と小説と

去年もこの日にブログを更新した。(きっと誰も気付いてない)

有名人でもない自分がブログをやることに意味なんてあるのか?と自分で始めておいて自分によく問うことがある。


でも、それはむしろ逆で名前も知れ渡って無い、特技も無い、人に誇れるものが無い、自分が出来ることが無いことをこの年になってコンプレックスに感じるようになった。
元々、キッカケは一昨年の秋に入院し孤独を感じている病院での毎日の中で持っていった一冊の本「ナナメの夕暮れ」に触発されたのがブログを書くキッカケだった。
若林さんの考えは後頭部をバットで殴られるかのようなものばかりで衝撃ばかりだった。
「2009年とぼくと」「AIvsオードリー」「マエケンさん」は痛いほど心に刺さった。
2周目は「トム・ブレンディ」がすごく好きになった。

エッセイは小説と違ってその時その時に刺さる角度や深さが変わったりするので何周でも美味しい本だ。


「あの時、こう思っていた」「実はこう考えていた」なんてのは実は大人になればなるほど内に秘めて噛み殺して生きないといけなくなる。
「大人になりなさい」「もう大人なんだから」って言われることなんてもはや決まり文句としか思えない。


一応、趣味は何ですか?と聞かれたら読書と答える。
本のいい所は内に秘めて噛み殺して生きていかなければならないことをあえて書く所。
それで言えばラジオはかなり酷似している部分はある。あの時はこうだったというトークや好きな音楽が詰まっているのはあのラジオの空間ならでは。

今現在、Twitterの一言にしているのはMy Hair is Badの「また来年になっても」の一歌詞。
この歌を初めてラジオで聴いた時にこの曲を紹介していたパーソナリティはすでに番組の終了が決定していた為、パーソナリティは半分涙声で紹介していたのが印象的だった。
そのパーソナリティはラジオがしたいと直談判してその番組は実現した。
そのパーソナリティはこうしたいということをその番組で実現させて、あの時はみたいなエピソードも沢山話してくれた。


世の中思い通りにもならないし
好きなことを仕事にするのは難しくて半ば諦める人も多いし
大人になればどこか達観するし。



自分の好きなダイヤのAという漫画の中でこんな台詞が出てくる。
「何もせずただ黙っていて見てる者を
救いあげてくれる そんな世界どこにもない」


この言葉がすごく好きだ。




小説のように内に秘めたる意志を示し
七味のようにピリッとしていて
バスケットの試合のように一瞬の判断を本能で決める

そんなあのパーソナリティのような人間に
私はなりたい





サカナ





ずっとハッピーエンドばかり待っている
ご存知の通り なんか足りないや
もっとすごい 超すごいんだぜ




My Hair is Bad/また来年になっても

6.流される-拾うまでもない話

少し前のオードリーのオールナイトニッポンや日向坂で会いましょうの中で話題に上がったとあるTV番組

 

 

世界は言葉でできている

 

ゴールデンでは僅か5回ほどしか放送されませんでしたが、コアな視聴者を釘付けするマニアックで個人的には好きな番組でした。

 

この番組には様々なジャンルの文才のある人が虫食いになった偉人の名言の一部を埋めて偉人のオリジナルの名言を超えると言うコンセプト。

いわば文系大喜利です。

 

ミーハーながら読書を趣味にしている自分にとっては復活して欲しい番組ベスト3に入るほどたまらなく好きな番組でした。

出ているメンツもたまりませんでした。

 

“名言クォーターバック“  若林正恭 (オードリー)

“関東中堅言番長“ 設楽統 (バナナマン)

“お笑い文学青年“ 又吉直樹(ピース)

 

他にもなかなか豪華なメンバーが出演していました。

名前の前に付くキャッチフレーズも好きでしたね。

他の出演者も見てみるとなかなか面白いので詳しくはWikipediaをどうぞ。

深夜時代には今や大ブームのラッパーの方々も。Zeebraさん、RHYMESTER宇多丸さん等々…

他にもスカパラの谷中さん、在日ファンクのハマケンこと浜野謙太さんなど。

 

 

いやー、復活して欲しい!

絶対今復活したらウケる。

少し先取り過ぎたのかなこの番組は?

 

 

ここ最近何故ちょこちょこ話題に上がっているこの番組のことを何気なく検索すると面白い内容を掲載している記事を発見しました。

 

この番組の中で異彩を放っていた存在が

 

"言葉の場外ホームラン“ ビビる大木

 

 

僕が書きたかった詳しい内容はこの記事に掲載されていると言ってしまえばそれまでになってしまいますが、盗作にもなりかねないのでまずはこの記事をお読みください。

読んだ方はこのブログに戻って来ていただけると助かります。

 

 

https://www.google.co.jp/amp/s/getnews.jp/archives/188253/amp

 

 

 

 

お読みになられましたか?

 

 

ビビる大木さんは今では数多く存在する芸人さんがナレーションや副音声的なポジショニングの役割として出演する形の第一人者とも言われています。

レギュラー出演していた「トリビアの泉」では誰よりも早くTV局に入って誰よりも先にVTRをチェックして本番になると副音声的にツッコミや裏回しに徹していたとか。

 

ビビる大木さんのこの“流される”スタンスがすごく好きだ。

もちろん大木さんはただ流されて芸能界を生き伸びているのではなく、客観的に広く芸能界を見て自分

の立ち位置、自分が出来ること、自分より面白い人は何がどう面白いかを冷静に見た上で自分が出来ることを戦略的に練るいわば「負けることが出来る」人だと思います。

素人なんかが分析するのは生意気だと思うが、何となくのらりくらり生きている訳では無く、川の流れをよく見てからその流れに逆らわないでいた上でそこに乗り、芸能界を飄々と生きている人なんだなと思います。

余談なんですけど、かつて狙っていた女の子が自分とのLINEのトークを退出していたのをつい最近気づいて引きずる辺り、まだ自分は負け切れてないなぁと。

 

 

この上記の記事を読んだ時に小中学校のころ、サッカーが上手くて女子からモテていた漫画みたいなやつのことを思い出しました。そいつに対して嫉妬などは無かったけど冷静に振り返った時になんでモテていたかってサッカーを頑張っていたからオマケ的にちゃんとそういう結果も付いてきて当然なことなんだったなって思いました。

顔はそれなりにカッコよかったし勉強もそれなりにこなしていたけど何よりサッカーが上手くなりたかったからいっぱいサッカーをやるというそいつの中では当たり前のことを当たり前にやったからだなぁと何年も経った今、やっと理解出来た気がします。

 

 

本気で欲しがった奴のことを「アイツは本気だったもんな」って思えるビビる大木さんみたいな人は強いなぁと思います。そういう人は冷静に戦略を練るからこそ計算高いみたいにいわれる末恐ろしさがあるのかなと。

そして、戦略を練った分だけの結果が今の大木さんの立場なのかなぁと。

 

そして、学生時代「リア充が!」という根性を何にもぶつけていなかった愚かさが今になって分かります。

そう思ってもいいけどいつまでもそれ続けるの?って自問自答しなければ。

 

冷静な判断がその時に出来ていた人で言えば2008年のM-1グランプリで敗者復活戦から勝ち上がってきたオードリーは翌年のM-1には出場しませんでした。

今見せられる漫才の全てを見せたと冷静に分析していたオードリーのお二人。周りからは色んなことを言われたそうですが、周りが思っている以上に自分たちのことを冷静に恐ろしいぐらい分析していたとナイツ塙さんの『言い訳』に書かれていました。

 

 

自分は冷静になりきれなかったから失敗を重ねて来たんだなぁと思うと、やっぱり悔しさをさらに後悔でコーティングしたものしか手元に残らないんですよね。

 

それはラジオにメールを送る工程にも言えることで読まれない時はとことん読まれないもので、でもまずラジオを聴くって好きでもない限りやらない行為ですからまず何より楽しまないとそりゃ焦って頭に血がのぼって回らないわけですよ。

本当に読まれたいメールを書いて本当に書きたいメールを書かないとそりゃ何にも届かないなぁとやっと思えるようになりました。

そう『思う』ことは誰でも出来るので忘れないうちにこうやってブログに書いて実行するとします。

菅田将暉さんもとあるインタビューで「言霊はあると思う」とおっしゃっていたのでやりたいことはどんどん口に出す癖をつけます。というか、今からします。

 

 

 

 

 

5キロ痩せる!

 

 

 

とりあえず大木さんのように反省してやることやって明日やること考えて上手いこと流される生き方を探すとします。

もう少しだけあと自分の思いとか口に出すとします。なので今からします。

 

 

思い通りのブログがあまり思い通りに書けませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.世界は言葉でできているがもし復活したらDJ松永と朝井リョウに出て欲しい。

拾う人、捨てる人-拾うまでもない話

2019年が終わろうとしています。

来年は東京オリンピック
早いですね。



今年1年は何をしてたかと1月から振り返った。
何年かぶりに会う人と沢山喋れた。
初めて会う人と好きなものを共有して喋れた。
人生で一度は会いたかった人と会えた。
とりあえず動いてみた。


人見知りで内気な自分にしては動いた1年だった。


その反面で
環境が大きく変わった。
悔しさとか苛立ちを誰にもぶつけられずにいた。
誰に頼っていいか分からなくなり、とりあえずイヤホンで耳を塞いで歩くことが増えた。



ブログをわざわざ書いているのに、なんでこんなザックリ書いているのかは自分の中で「今だ!」と思えるタイミングで自分のことを喋れたらと思っているので、これは今ではないのかなと感じているからです。
自分が現時点で聴いているラジオ番組の中では星野源オールナイトニッポン山里亮太の不毛な議論辺りで自分のことをダラダラと綴ったメールがいつか読まれないかなと思っています。



小さいことから大きなことまで今日は何が出来たか、こうやって一気にでは無く、少しずつ書き止めないといつか忘れてしまって自分の中に何かしらの形で貯まって行くハズの形の見えない貯金が底を尽きそうなので、日記でもメモ帳でも何か始めないといけないなと思う。




少し前に親友と電話で話し、現状を伝えた。
何となく昔から男のクセに片桐仁ぐらいすぐ泣くことからある時期から人前で極力泣かないと決めたけどあんまり実践出来ていない。
この時も泣いてなるものかとギリギリの所で涙を堪え他愛も無い話から大きなことまで色々話していく中でその親友からこんなことを聞かれた。




「お前、最近笑った?」




長い付き合いなので全てを見透かされた感じがしてナンバーガールの透明少女のイントロのような強い風が吹いた感覚を覚えた。その電話してた時は自分の部屋だったけど。




2019年、個人的に色々あったけどその中から一つ、思い出深いものをピックアップします。



今年の上半期にとある用事で3度、1人で東京に向かった。
ちなみにそのうちの一度は「恋のヴェネツィア狂想曲」を見に。3度目の東京の時の話。つまりは観光。
その3度どれもほぼひとりぼっちだったけど、それなりに良い体験をさせていただいた。



毎回、金曜の夜辺りに東京に着く予定で動く。
理由はたった一つ、代々木にあるスタジオViViDにて公開生放送を行っている「沈黙の金曜日」の観覧に向かう為である。
東京に着き、イヤホンを耳にして都会の人間を揺らしながら運ぶ箱に揺られ山手線とやらに揺られ揺られ代々木へ。


生で見るエロイルカこと中田花奈
生で見る川崎のデスラッパーこと酒井健太
生で見る寸劇の巨人こと平子祐希



楽しそうに歪な形のスタジオで話す3人。
平子さんは右肘をつけて、酒井さんはメールを1枚ずつ選定して、中田さんはとにかく白い。めちゃくちゃ白い。透き通るぐらいうなじキレイ。
こんな人と握手会に行けば握手が出来るのかと思った。
ニコニコしながら2時間の観覧を何回もループしていたら傘も刺さずに濡れていたことは忘れていて、代々木駅の坂道を下った所から見た地元とかけ離れた光のジャングルと雨と入り混じった異臭の不快感なんてものはこの世に名前が存在しない形のスタジオの中の3人さえ見ていれば何物でもなかった。



そんなこんなで時刻は23時。
颯爽と去って行く色白雀士パーソナリティー中田花奈を観覧の皆さんで見送った後に出てきた2人。

3度目となるのに相変わらずぎこちなくサインと写真をねだる自分。あの時の自分はマリオネットみたいだった。
初めて観覧に行った時に時期的に元気が無かった時だったので、平子さんに「ハグしてください!」と頼んだ。

すっごいイカツかった。
脱臼ゴリラだった。
毎回新鮮に抱きしめてくれた平子さん、あざした。
毎回覚えててくれた平子さん、あざした。
ビショビショの自分を抱きしめてくれた平子さん、あざした。



お金を少しでも浮かせるために代々木駅前のネットカフェに宿泊し、その日は終了。BLUE GIANTとか気になってたけど読む気力が沸かなかった。23時にはダウン。


翌朝はチェックアウトもあったので、7時には出て次の日の予定を近くの喫茶ルノワールで。
大荷物は駅のロッカーへ。
さて、東京2日目め。どう料理してやろうか。
炒めるか焼くか煮るか。

リュックに最低限度の荷物を詰め込み計画を立てる時間は割と好きだった。毎度毎度代々木にはお世話になっている。今、思えばこの近くで若林正恭氏はバスケやってるのか。この当時はヨメ見えてたのかな。

近くを検索し、出てきたのは明治神宮
神社仏閣等の知識は皆無と言ってもいい自分なので、神の家に土足で上がり込むような行為だと分かっていても、その当時の自分は神にもすがりたいような気持ちと状況に立たされていたので、即決定。

喫茶ルノワールを出て昨夜、東京の持つ嫌悪感を忘れさせてくれた空間には見知らぬおじさんが1人黙々とラジオに勤んでいる姿とそれと対照的にアレだけ観覧に来ていた人は1人もいなかった。
それがここの日常。それが代々木の土曜日。
当たり前を繰り返して成り立つ日常に非日常が差し込む瞬間は簡単には訪れない。そんな顔でラジオにあのおじさんは勤しんでいた。
代々木駅前の土曜日の朝は何かしらの武道へと足を急がせる人々がやたら目につく。
おそらく薙刀あさひなぐ読んでいたお陰で分かった。

明治神宮に向かう前に必ず東京に来ると、行う土曜日の儀式が自分の中である。
それを行うべく、再び昨日平子氏に抱かれた地へ。
儀式を済ませ、明治神宮へ。

見知らぬ地をひたすら携帯の地図を頼りに明治神宮へ。



神社仏閣等に知識が無くとも、ここから感じた目に見えないパワー。何故か受験期に願掛けをする人を下に見ていた自分はそのパワーの前で無力同然。おみくじだって信じてはいなかったけど、引いてしまう自分。無力無力。

その後、近くを再び検索した所、新宿が近くに。
乃木坂工事中で桜井玲香さんが「代々木公園の次は新宿御苑に行きたいな!」と言っていたのは近いからなのね。
田舎モノ丸出しの自分、一つ学ぶ。



目的地を新宿御苑へ設定。
元々、都会!って感じの所は避けたかった。
人に酔うし多分もう行きたくなくなるはずだと思い避けた。
「公園に入るのにお金を払わなければならないのか、東京という街は!」と新宿御苑の入り口ゲートで思っていたが、そんな邪念は再び新宿御苑の広大なる都会には失われていたはずの純度120%の緑が無力同然に。無力無力。
スマブラなら2つめのストックを失いました。
余談ですが、僕はファルコを良く使います。

時々、iPhoneのシャッター音は下品に感じる瞬間がある。iPhoneをお使いの方は共感してくれるだろうか。あのシャッター音なんかなぁってなる。新宿御苑明治神宮のような人の黒い部分を圧倒的パワーでねじ伏せる場所には特にミスマッチだけど、やっぱり撮ってしまうのだ。一眼レフのシャッター音は上品だと思う。同じ写真を撮る行為にここまで差を感じて生きている人間が面倒な性格であることぐらい自分が一番分かっている。


続いての目的地を新宿御苑内のカフェ的なお店で探す。少し前にチュートリアルの徳井さんとピースの又吉さんの番組を見た。又吉さんの火花も劇場も読んでいたし、又吉さんのどこか文學チックな大喜利が大好物な自分が次に狙いを定めたのは神保町だった。
お店の人に聞けば、そこそこ遠いと言っていた。

田舎モノの自分にとって都会の電車の乗り継ぎはもはやインディ・ジョーンズだ。
それでも、携帯の利便性には驚かされる。
早朝の土曜日を自分を無理やり動かして神保町には何とか辿り着いた。

駅から出て騒然、仰天、大発見。
古本屋のバイキング。

「こんな街があるのか!?」と驚き。一度、目にしてみたかった神保町はタイムスリップへの入口に立たされた様でまだここに来るには早かったなと数時間前の明治神宮と似た感覚を再放送させた。

行きたい所にはある程度行き、神保町のラーメン屋で麻婆ラーメンなる胃が悪くなるにはうってつけの料理を平らげた所でここでポツンと思ったこと。

あと、どこがある?




…よし、もうお腹いっぱいだ。二つの意味で。

ということで、この旅の目的地である「恋のヴェネツィア狂想曲」講演の地、新国立劇場・中劇場へ。
開演は17時からでその時点では14時前後と持て余すにもほどがある時間だったので近くの喫茶店に入った。

時期的に他力本願ライブのネタの締め切りが迫って来ていたため、その喫茶店でネタを書くことに。
南海キャンディーズのネタが書ける喜びを噛みしめながら書いたけど、結局不採用。漫才の書き方、どこかで誰か教えてくれたっていいのに。ユーキャンとかにないかな。

ネタを書き終えた所でさて何をしようか迷いに迷いふとリュックの中に1冊の本が入っていることを思い出した。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

若林正恭



人が巡り合うには色んな条件、運が積み重なるようにそれは本も同じだと思う。その時、環境、心境などに適した本があると思っている。現に未須本有生の「ドローン・スクランブル」を買ったにも関わらず難しくてまだ何ページかしか読めていない。少し前までこの本、読めないかもと蕎麦屋のミニカツ丼セット並の大きさの挫折を味わっていたが、そういう時期があるとふと又吉さんが言っていたのを思い出して少しだけ気が楽になったのでこの本は今も寝かしてある。

そして、このキューバのギャグエッセイ。(デレクジーカーさんのネタメールより引用)
結論。この本持って来てて良かった。

公演直前までこの本を読むことにした。
キューバの通貨を間違って解釈していた話、キューバの革命家の話、ビーチで現地の人と揉めた人の話。



楽しい。若林さんの書く文章には嘘が無い。
楽しい。持って来てよかった。

サラリーマンが僅かな昼休みで定食屋で昼食を平らげるスピードで読み進めていたのだが最後の一口が入らない。


ruta 26「マレコン通り」


若林さんがなぜキューバへと向かうことにしたのか。
僕はここへと辿り着くまできっと好奇心からだろうと勝手に想像していた。
その答えは大分検討違いだった。
数学の証明問題でまるで書き進められないあの時の感覚に似ていた。

隠れた父親の思いを背負って。

それが全てでは無いにしても、若林正恭という男は決して冷徹でもシリアスでも何でも無いと思った。

ただただ人と深く深くありたいのだ。
自分のような泥水すらすすっていない人間と重ね合わせても迷惑だろうが、若林さんが過去に語ってきたこと、本に記してきたことが酷く痛く共感出来てきたことは性格が綺麗に重なる部分が多すぎるのだろう。

人見知り(今はきっと若林さんは違うであろうが)、女子への苦手意識や偏見、ファッションへの疑問、何かにつけて負けた感覚への自分に対する劣等感と卑屈な感覚。


東京にこの本を持ってきてよかった。
でも、やっぱり読むべきじゃなかった。
新国立劇場前で。東京で。

だって、夕方の澄み渡った空を見上げて泣きそうにさせるんだもの。頭のおかしい奴だと思われないでよかった。
自分の両親はまだまだ元気だけど、あと何年かけて今までしてもらったことを返せるだろうか。



今年5月辺りにメンタルクリニックに通い始めた。
例えば自分が骨折などをしていた場合、骨が折れていると判断が出来るから病院に通わないといけないがメンタルクリニックは自分で通うという判断が出来る所まで自分で自分を持って来ないといけない。


それすら出来ない時期があった。
オールナイトニッポン0をほぼ笑うことなく誰かに決められた工場での作業かのように聞きそれが終われば無理矢理自分を寝かせる。
畳まれない洗濯物と溜まるゴミを分かっていても処理出来ない自分が腹立たしいとも思えなかった。
それがやっと出来るようになった5月、自閉症だと言われた。
ショックというよりは病名がつく状態なのかと判断出来た自分に少しだけホッと出来ていた。でも、やっぱり邪魔でしょうがなかった。こんなもの。
メンタルクリニックの先生は毎回優しく30分自分の話を聴いてくれた。思えば若月佑美推しであることをちゃんと人に言ったのはこの人が始めてかもしれない。


そういうことの積み重ねと本の巡り合わせがキレイにバッティングしてここで爆発した気がした。
夜中に無意味に近所の大学が持つグラウンドに忍び込んで歩いて、寝転がり夜空を見上げたり自転車を無意味に飛ばした夜があった。
アジカンとか銀杏BOYZやきのこ帝国がやたら身に染みて泣きそうな夜があった。あ、これに関しては今も普通にあるや。

そんな悔しさとか虚無感がずっと夢遊病状態。
2019年、鏡に映る自分の顔を見てムカついたことなんて数え切れない。



あ、いかんいかん、この旅の目的はここじゃねぇ。

時刻は17時前。
恋のヴェネツィア狂想曲、素晴らしく笑える舞台でした。


ムロツヨシ、吉田羊、堤真一池谷のぶえ賀来賢人みんな大暴れでした。
席は遠かったですが若月専務、バリカワでした。

その後は再び代々木駅前のネットカフェと大戸屋にお世話に。
ネットカフェ、寝る所が独房みたいなこと以外は好き。
そして、東京を後に。
また来ます。
東京、おやすミッフィーちゃん。
アディオス。




急だな!って言われるかもしれませんが

お酒が飲めない。
下戸だとか体質的にとかではなく潰瘍性大腸炎という病気を自分が持っているからだ。
国の指定難病に指定されてはいるが、普通に生活は出来ている。
この病気になっている人で一番有名なのは現在の首相である安倍晋三首相である。
一度、安倍首相は総理大臣を退任しているがこの病気が原因である。有名な話かもしれないが、もし知らない方、興味のある方は調べてみてください。この病気にかかってから自分は知りました。
お酒が飲めないことは苦痛ではないが、その先にあるものやハンディキャップに感じる部分が嫌なのだ。

お酒が飲めないと腹を割っていないみたいに思われそう、本音で話していないと思われそう、ノリが悪いと思われそう。飲めないんですと言えば簡単だが変に何故か嘘をつけない性格でこのことをバカ正直に答えてしまう。そして、変な心配をされる。その空気が嫌だ。
そういう席に行かない判断は正直、簡単に出来る。
でも、自分みたいな人間こそそういう席に行かないといけないことぐらい自分で分かっている。
あと単純にお酒がどういうものか味わうこと無く死ぬのが悔しい。トライ&エラーのトライの部分が無いのだ。

話を再び戻しますが、通うメンタルクリニックを変えることとなった。
一時期、通わずに過ごせていたのだが再び通うようになったのは、キッカケはチュートリアルの徳井さんが所得隠しの件でニュースになったのを見て。
徳井さんはあの件で世間から厳しい目で見られると同時に精神疾患があるのではないかと疑われた。
同じような状態にあった自分からすれば、徳井さんのあの会見は少し違和感を覚えた。
元々、チュートリアルの漫才が好きだったからかもしれないが、徳井さんを完全なる「悪者」として見ることが自分にはどうしても出来なかったのだ。

ということで再び通い始めた結果、今度は適応障害の疑いがあると言われた。
ロンブーの亮さんが現在、かかっているやつです。










行き過ぎた考えかもしれないが、多分人は一度ぐらい「死にたい」と思ったことが誰しもあると思っている。





高校の頃、恋愛絡みで三角関係的なことになり、とにかく学校に行きたくなかった。
毎日、登校時に嗚咽が止まらなくなった。
教室で当たり前のように仲睦まじく話す2人を見ていると、昼休みに食べる弁当は消しゴムとかその類を食べているかのような感覚に陥った。
毎朝、高校に行く道中で地元でも大きめの病院の前を通るのだが、その時日課のように考えていたバカげたことを思い出した。






「もし、今自分が道に飛び出して車に轢かれればすぐに病院に運んでもらえて入院出来て学校行かなくて済むのにな」





結果、そんなことは出来なかったしする勇気さえ無いほどのビビりだった。これがビビりかは分からないが。




こうやって自閉症だとか適応障害とかって言われてブログに冷静に文字に書いてみて振り返ってあの時の自分を双眼鏡を使って見てみて分かったこと。


あの時の自分はどうにかなりたかったとかじゃなくて、至ってシンプルに死にたかったんだなということ。



そして、今だから思えること。



あの時、死ななくてよかった。



あの時、好きだった子もアイツも絶対自分の存在なんて忘れてるに決まってらぁ。
人ってのは案外、いい加減だし忘れっぽい生き物だから自分みたいな人間の存在なんてぐらいで思っとかないと結局、誰かへの過多な依存は甘えでしかないってやっと思えるようになったら1人の時間も友達といる時間も大事にしないともったいないと思えるようにようやくなれた。


最近、読んだ精神科病院での日々を書かれた漫画でとある患者は死にたいと思ったら3年後に死ぬと考えるようにするらしい。
その3年の間に色々変わるかもしれないから。






これ以外にも死にたかったと思うことと恋愛の失敗エピソードが積み重なっておりますが、今はまだ書きませぬ。
一個だけ失恋エピソードを書くなら中学の時に3年間唯一同じクラスだった女の子に目を見てハッキリと「キモっ」と言われたこと。
チキンライスの歌詞のように貧乏自慢ですかという顔をする奴ならぬ不幸自慢と思われてるかもしれないが、でもあれだけ不幸だったんだ。
せめて自慢ぐらいさせてよ、自分のブログなんだし最後は笑いに変えるし。





人見知り、適応障害潰瘍性大腸炎、お酒が飲めない、女性へのトラウマ。
他も多分上げればきっと色々出てくる人間としての自分のボロ。
自分だけハンディキャップ多すぎやしませんか?


もうここまでボロ負けになってみて分かったこと。



もう多分、ここから下に落ちることはきっとないと思う。
今の自分はボロ負け過ぎてジョーカーみたいにケタケタ笑ってる。

今年1年の自分を表す漢字一文字は『悔』。
いい思いも悪い思いも全部飲み込み、自分という人間のレベルの低さからくる悔しさ。



とりあえずダラダラ生きるのに飽きた。
しょうがないよって言葉をかけられたくないしもう過保護に同情されたくない。病気クソ食らえ。
もう多分傷口に塩を塗りたくられて痛くないような気がした。


何かに没頭することと何かを生産することが精神的に良いらしい。
毎日「ちょっとだけ」本気でユニゾンエアーをやってみる。
「ちょっとだけ」本気でメールを送ってみる。
「ちょっとだけ」本気で病気と向き合ってみる。
「ちょっとだけ」本気で人と話してみる。
「ちょっとだけ」本気でブログを書いてみる。


それでも世界は変わらないと思う。
でも、何も出来なかった時期の自分には二度と戻りたくないしあの頃の自分を今すぐコーナーに追い詰めてボコボコにしてやりたい。


世界が変わらないならもっと大きく動けって言われてるんだなって思うようにする。
誰にもこのブログが刺さらないなら、誰でもいいからご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。


某漫才師は再び舞台に帰ってくるまで10年かかった。
またとある某漫才師は10年かけて武道館でライブをやった。
某漫才師は結婚への葛藤から涙を流していた。

それぐらい大きく動いていく1年に来年は出来たらいいな。


あぁ、デートとセックスしてぇ。
やっぱ素晴らしいものなんですかね。

あとあのコーナーとあのコーナーでメール読まれたい。
あと…




たりないひとり。


上半期は全然送れなかったメールが下半期になって少しずつ楽しみながらメールを送れるようになったのは自分の中での成長、いや、変化だと思う。






まだまだ色々書きたいことは沢山ある。
とりあえず今年のうちに消化しておきたいことをほんの一部ではありますが。

今まで出会えた全ての人々にもう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう。
峯田和伸さん、引用させていただきます。


ぱーかーさん、今度東京行ったらかおたん奢らせてください。





さて、そろそろ終盤です。
東京に降り立ち代々木へと向かう道中に必ず聴いていた曲の中の歌詞を一部抜粋。



口紅を引いてみたら
君の事が分かるだろうか
東京タワーの代わりに
見てほしい 赤い気持ちがひとつ



東京というタイトルの曲は大体名曲。
くるりミスチルもきのこ帝国も。


そんな中でも特に好きな曲。


東京/Base Ball Bear



このブログのタイトルの「拾うまでもない話」ってのは本当に思いつきでしかなかったけど後付けさせてもらえるならブログなんて悪い言い方をすると、
自己満足。

でも、自己満足ですらやれなかったから今、こうやって出来ていることが大事なんだなと日々思う。

何よりやらねぇ奴が語るなよ精神で何でも積極的にできるように2020年は頑張ります。
拾うまでもない話だけど、捨てることは割と簡単だったりする。
でも、拾うためには一度立ち止まりしゃがむ必要があって。
そういう風にしたいし、なりたい。
ただ捨てるだけの人間にはなりたくない。
拾われたいし拾いたい。



適応障害になってみて分かったいくつかのこと。

  1. 人は案外、冷たいし人の評価はいい加減。
  2. だから、自分がしっかりすれば自ずと色んな結果はついてくる。人に期待するぐらいなら自分の力を過信してでも自分で。
  3. ポジティブな意味でもネガティブな意味でも「自分なんて」とか「自分みたいなものが」ぐらいで人と付き合っておくと、重くならずに済む。
  4. 「面倒くさい」と思う前に勝手に身体を動かせば、後は流れで行ける。
  5. 意志を示さない者を救ってくれる世界なんてこの世には無い。
  6. 嫌いなものに目を向けるほど、自分の人生は暇じゃない。
  7. 桑田真澄の野球は心の野球
  8. 「嫌われてナンボ」ぐらいの方が人と程よく深く付き合うべき人を選別出来る。 
  9. 近い所にいる人ほどしばらく距離を置くことで久々に会って楽しい話が出来る。
  10. ラジオへのメールはウンウン悩んで捻り出すようなものよりも楽しみながら送った方がいい。(矢作さんの教訓)
  11. 1日1個新しいことをして、何かを生産することは精神的に良いらしい。

今はラジオにメールを送ることを楽しめている自分がいて、なおかつちょっとしたリハビリ期間だとも思えるようになれているので良かったなと思う。







んー、気分転換にRN変えようかなー。




次に東京行く時は銀杏BOYZの東京聞かないと。
でも、そうなるとイヤホンすることになるからまた1人?







代々木スタジオVIViD横。
土曜日の朝は必ずここに一礼することを儀式にしています。





明治神宮






新宿御苑の一コマとカフェで買ったいちごソーダ金木犀の香りのボディクリーム。





新国立劇場近くの喫茶店にあったイチローのサインボール。








これを読んでいるおすすめの漫画、アーティストなどを教えてください。
とにかく新しいものを取り入れようと必死なもので。





ご清聴ありがとうございました。
良いお年を。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。


長崎県 RN 緑のサカナ (改名しようか考え中)
(noteも登録してるけど使い分け方も考え中)

5.合法的でたりない-拾うまでもない話


恥ずかしながら先日の山里亮太の不毛な議論で初めて
Creepy Nutsたりないふたりを聴いた。
リズム感とかテンポとかみたいな言葉でしか音楽の好き嫌いを表現出来ないが好きな歌だった。

歌詞の内容や題材はオードリーの若林さんと南海キャンディーズの山里さんからなるユニット「たりないふたり」を見てそれをベースに作られた一曲である。
飲み会オフ会女子会等が苦手な人間の葛藤を描いた一曲である。

その歌の中で「映画観たい 漫画みたい 本読みたい でも交尾したい」とある。
やっぱり自分のような音楽的知識の無い人間は「このテンポやリズムが好き」とか以外だと歌詞の内容や言葉としての表現力の旨さに惹かれて好きになる傾向が多いように思える。当たり前か。そりゃそうか。

正直、自分も人に会うぐらいならエンタメ的知識を少しでも自分の中に蓄えて何かを吸収して生きていたい。…と思っているようなそうでもないような。
前までは「そう思っている。」と断言出来た自分なのだが、最近色々と自分はまずい方向に向かっている気がしてならない。



あまりにも女性と喋っていない。
自分に変化がない。
特定の人としか喋っていない。
人と喋る時の第一声に必ずと言っていいほど「あ」というのをクッション代わりに置いてしまっている。
元々、小さい声がもっと籠りがちになっている気がする。






…たりない。まぁ、たりてない。

マジでどうしようと思う毎日。オードリーの若林さんの「人見知り学部社会人学科卒業見込」にてネガティブの対極にあるのはポジティブではなく、何かに没頭することだと書いてあった。このことは文學的にも科学的にも証明されているらしい。これを独自のルートで導いた若林さん、鬼リスペっす。

ということで、何かに没頭して生きましょう!

と決意したはいいもののどうしたらいいか分からず、日中はもう意識を色々と飛ばすか別のことを考えながら、生きている。日中はそうするしかない。

バナナマンの設楽さんが自分の中に3人の自分がいると言っていた。
「破壊」「謙虚」「その間の仲裁役」
だったかな?



設楽さんと言えばドSというイメージがある人も多いと思う。人の耳元で空砲売ったり、竹刀が壊れるまで人をメッタ打ちしたり若手の頃には、野良猫をライターの火をつけながら追いかける(これは本人曰く一回だけ)とナチュラルドS。
そんな人が平日は帯で情報番組をやっている。


ここぐらいにしか吐き出せないので書くが自分の中にも3人いる。というか、みんなそうだと思って生きている。というか、そうだと思わないとやってられない。


「破壊」の自分が表面に出ないのはやっぱりある程度の理性というストッパーである「謙虚」が頑張ってディフェンスをしてくれているのだろう。
仮にもし「謙虚」の自分がいなかったのならとりあえず自分が第一にやりたいのはオードリーのオールナイトニッポンのチェ・ひろしのコーナー内で春日さんを若林さんがドロップキックするかのように「俺にドロップキックしていいよ」って人にドロップキックしたい。
ただそもそもそんな人がいない。
あのコーナーの時の若林正恭は合法的にトンでいる。

フジファブリックの夜明けのBEATのMVの森山未来みたいに走り踊り狂いたい。
この間のボクシングの井上尚弥みたいな試合を展開してみたい。
IPPONグランプリ出て写真で一言ルーレットを3本連取してみたい。
福田雄一作品で急にアドリブぶっ込んで共演者を困らせたい。

いや、どんどんたりないふたりの歌詞みたいになってんな。あと、アホだな自分。


ただあくまで合法的でならないのは概ね理解しているつもりで近年目立つアホに成り下がってはならない。
煽り運転とか教職員のイジメとかのニュースを見ていると胸クソ悪くなる。
一貫して言えるのはそういうニュースは理性を忘れた人間が他者を攻撃しても良いという持ち合わせていなければならないはずのストッパーをどこかで壊してしまったかまたは、自己顕示欲をチョコレートフォンデュの中につっこんだフルーツぐらいにまみれてそれを浴びた人が覆われ支配された人間が目の前が見えなくなった感じになっているのであろう。

ダラダラ書いているが常識的で当たり前のこと書いてるよね。

不倫はダメ!って風潮はあるのにドラマ内ならOK。
これはやっぱりドラマだからなのです。
ドラマの不倫と世にはびこる不倫報道の違いは毎年夏に高校球児を特集する熱闘甲子園みたいなものだと思う。
結果、その試合が10-0だったとして野球に詳しくない人、見てない人が結果だけ見れば「10点とったチームが強い」「1点も取れなかったチームは弱い」と思う人がいる。

でも、その野球の裏には駆け引きや惜しかった場面などが沢山あるワケで。
熱闘甲子園すら見ない人間にとやかく言われたくないわよねぇ。
ドラマの不倫も現実の不倫もただ不倫をしているのか、その裏にある複雑な事情をみんながみんな知っているワケではないのでしょうか。
現実の不倫がタチが悪いのはドラマみたいに背景を放送してくれないし、見出しでドーンと突きつける感がハンパない。
そして、そこに土足で槍を突っ込んでいくワイドショー。
ワイドショーの鼻、爆発して死ね!
ワイドショーの鼻、爆発して死ね!
絶対に伝えたいから2回。


それを知らずに反射的にそんな発言が出来てしまう人間、悪口を言えてしまう人間を怖く思う。
「悪口を言うな!」ではなく「悪口をみんながみんな美味しいと思うな!」。

ワイドショーの鼻がどうとか言ってるクセになんかコメンテーター紛いなこと言ってすいません。


少し前に話をタイムスリップ。

この間、行きつけのカフェの店長に悩みを聞いてもらった。
2ヶ月ほど通ってようやく店長と喋れた。
2ヶ月の間、他にお客さんがいて聞かれたくなかったり、小ちゃい子供が来て元気にはしゃいでいるので中々1対1で話せず帰る事が多かったのでようやく今日!って日が来たので話した。
ただ閉店間際だったのでもう少し早めならと思った。
とりあえず自分の今の環境下に置かれている特定の人間以外の人と久しぶりにちゃんと喋った気がする。第一歩。
あんまり頻繁に行ってもネタが無くなるのでしばらく行くのを空けよう。
店長、いい人だったけどやっぱり女性と喋りたいな。。
今度、もし同年代ぐらいの女性が来てそういう機会が来たら勇気出してみよう。
頼む!次行く時イイ感じの人来い!
ちなみに少し前にイイ感じの人が来たのですが、年齢が少し離れていたので色々と誤解を招くかもしれないと思い、踏み切れなかったのはおよそ1割の後悔と9割ほどの正解だったかもと思う気持ち。



たりないふたりの歌詞にある映画見たい 漫画読みたい 本を読みたいという欲などは内在的なものを築くための行為で言わば内装を手がけているのではないかと思う。
そこまで考えて1人で出来るそれらの行為をしている人なんてどれぐらいいるか分からないけど、少なくとも自分はそう思いながら、でも心のどこかでただただ外に向けて内在的なものや自分を発信することにビビっている自分がいるんだと思う。


元々、人になかなか心を開かず話しかけにくいオーラを出すのが得意な方で。これを得意としてしまっているのは流石に情けない年齢になってしまった。
年齢が猛スピードで自分の性格を追撃しに来てそろそろ追い抜く恐怖がある。

女性と上手く接することが出来る人はきっと学生時代から築き上げてきた基盤を軸に動けるけど、それが無いし今から作らなければならないと焦りがある。



才能も無いし男としても人間としても魅力も人望も無い。
それでも楽しく生きられたらそれがいいのかもしれないけど、そうじゃない自分が悔しいからブログにこうやってダラダラ長く書いている。


悔しさとか妬みとか嫉みで終わらせることは出来るけど、それをどこかにぶつけないとという思いでとりあえず手始めにブログを一つの手段として。
とりあえずここ最近は色々やるようにしている。

地元なのに全然行ったことない場所に行ってみる。
字が汚いのでTSUTAYAでボールペン字の練習帳を買ってやってみる。
前ほど無くなったメール投稿意欲を短文系のコーナーから少しずつ始めてみる。
星野源さんがサブスクリプションを解禁したので、Apple Musicに入会して聴いたことない音楽を聴いてみる。
また対照的にダイヤのAをまた1巻から読み直したりナナメの夕暮れをもう1周読み返してみる。

…やっぱり全部内在的である。
いつかこれを外に爆発させたいという思いとさせなきゃいけない誰にも言われるまでもないのに勝手に使命感に駆られて焦りにまみれている。






でも、冷静になって考えてみたら意外と答えはシンプル。

女性が好きだからお付き合いしたい。
面白いと思われたいからメール送って読まれたい。
きっと楽しいだろうからいろんな所に行ってみたい。
色んな手段に使えるだろうから、お金が欲しい。




つまりは俺には「何か」たりない!
合法的に足りない!

それだけ。




P.S. 11日ぶりにかつての狙女からLINEが返ってきたのですが、自分の気持ちがその人から離れてしまったので今後の会話の展開に困っています。
誰か助けてください。
あと、オススメの映画と洋楽を教えてください。











若林正恭さん、心の底からご結婚を祝福いたします。
また本書いてください。