nfbanana’s diary

どこかの誰かの戯言

バスケと七味と小説と

去年もこの日にブログを更新した。(きっと誰も気付いてない)

有名人でもない自分がブログをやることに意味なんてあるのか?と自分で始めておいて自分によく問うことがある。


でも、それはむしろ逆で名前も知れ渡って無い、特技も無い、人に誇れるものが無い、自分が出来ることが無いことをこの年になってコンプレックスに感じるようになった。
元々、キッカケは一昨年の秋に入院し孤独を感じている病院での毎日の中で持っていった一冊の本「ナナメの夕暮れ」に触発されたのがブログを書くキッカケだった。
若林さんの考えは後頭部をバットで殴られるかのようなものばかりで衝撃ばかりだった。
「2009年とぼくと」「AIvsオードリー」「マエケンさん」は痛いほど心に刺さった。
2周目は「トム・ブレンディ」がすごく好きになった。

エッセイは小説と違ってその時その時に刺さる角度や深さが変わったりするので何周でも美味しい本だ。


「あの時、こう思っていた」「実はこう考えていた」なんてのは実は大人になればなるほど内に秘めて噛み殺して生きないといけなくなる。
「大人になりなさい」「もう大人なんだから」って言われることなんてもはや決まり文句としか思えない。


一応、趣味は何ですか?と聞かれたら読書と答える。
本のいい所は内に秘めて噛み殺して生きていかなければならないことをあえて書く所。
それで言えばラジオはかなり酷似している部分はある。あの時はこうだったというトークや好きな音楽が詰まっているのはあのラジオの空間ならでは。

今現在、Twitterの一言にしているのはMy Hair is Badの「また来年になっても」の一歌詞。
この歌を初めてラジオで聴いた時にこの曲を紹介していたパーソナリティはすでに番組の終了が決定していた為、パーソナリティは半分涙声で紹介していたのが印象的だった。
そのパーソナリティはラジオがしたいと直談判してその番組は実現した。
そのパーソナリティはこうしたいということをその番組で実現させて、あの時はみたいなエピソードも沢山話してくれた。


世の中思い通りにもならないし
好きなことを仕事にするのは難しくて半ば諦める人も多いし
大人になればどこか達観するし。



自分の好きなダイヤのAという漫画の中でこんな台詞が出てくる。
「何もせずただ黙っていて見てる者を
救いあげてくれる そんな世界どこにもない」


この言葉がすごく好きだ。




小説のように内に秘めたる意志を示し
七味のようにピリッとしていて
バスケットの試合のように一瞬の判断を本能で決める

そんなあのパーソナリティのような人間に
私はなりたい





サカナ





ずっとハッピーエンドばかり待っている
ご存知の通り なんか足りないや
もっとすごい 超すごいんだぜ




My Hair is Bad/また来年になっても