nfbanana’s diary

どこかの誰かの戯言

拾う人、捨てる人-拾うまでもない話

2019年が終わろうとしています。

来年は東京オリンピック
早いですね。



今年1年は何をしてたかと1月から振り返った。
何年かぶりに会う人と沢山喋れた。
初めて会う人と好きなものを共有して喋れた。
人生で一度は会いたかった人と会えた。
とりあえず動いてみた。


人見知りで内気な自分にしては動いた1年だった。


その反面で
環境が大きく変わった。
悔しさとか苛立ちを誰にもぶつけられずにいた。
誰に頼っていいか分からなくなり、とりあえずイヤホンで耳を塞いで歩くことが増えた。



ブログをわざわざ書いているのに、なんでこんなザックリ書いているのかは自分の中で「今だ!」と思えるタイミングで自分のことを喋れたらと思っているので、これは今ではないのかなと感じているからです。
自分が現時点で聴いているラジオ番組の中では星野源オールナイトニッポン山里亮太の不毛な議論辺りで自分のことをダラダラと綴ったメールがいつか読まれないかなと思っています。



小さいことから大きなことまで今日は何が出来たか、こうやって一気にでは無く、少しずつ書き止めないといつか忘れてしまって自分の中に何かしらの形で貯まって行くハズの形の見えない貯金が底を尽きそうなので、日記でもメモ帳でも何か始めないといけないなと思う。




少し前に親友と電話で話し、現状を伝えた。
何となく昔から男のクセに片桐仁ぐらいすぐ泣くことからある時期から人前で極力泣かないと決めたけどあんまり実践出来ていない。
この時も泣いてなるものかとギリギリの所で涙を堪え他愛も無い話から大きなことまで色々話していく中でその親友からこんなことを聞かれた。




「お前、最近笑った?」




長い付き合いなので全てを見透かされた感じがしてナンバーガールの透明少女のイントロのような強い風が吹いた感覚を覚えた。その電話してた時は自分の部屋だったけど。




2019年、個人的に色々あったけどその中から一つ、思い出深いものをピックアップします。



今年の上半期にとある用事で3度、1人で東京に向かった。
ちなみにそのうちの一度は「恋のヴェネツィア狂想曲」を見に。3度目の東京の時の話。つまりは観光。
その3度どれもほぼひとりぼっちだったけど、それなりに良い体験をさせていただいた。



毎回、金曜の夜辺りに東京に着く予定で動く。
理由はたった一つ、代々木にあるスタジオViViDにて公開生放送を行っている「沈黙の金曜日」の観覧に向かう為である。
東京に着き、イヤホンを耳にして都会の人間を揺らしながら運ぶ箱に揺られ山手線とやらに揺られ揺られ代々木へ。


生で見るエロイルカこと中田花奈
生で見る川崎のデスラッパーこと酒井健太
生で見る寸劇の巨人こと平子祐希



楽しそうに歪な形のスタジオで話す3人。
平子さんは右肘をつけて、酒井さんはメールを1枚ずつ選定して、中田さんはとにかく白い。めちゃくちゃ白い。透き通るぐらいうなじキレイ。
こんな人と握手会に行けば握手が出来るのかと思った。
ニコニコしながら2時間の観覧を何回もループしていたら傘も刺さずに濡れていたことは忘れていて、代々木駅の坂道を下った所から見た地元とかけ離れた光のジャングルと雨と入り混じった異臭の不快感なんてものはこの世に名前が存在しない形のスタジオの中の3人さえ見ていれば何物でもなかった。



そんなこんなで時刻は23時。
颯爽と去って行く色白雀士パーソナリティー中田花奈を観覧の皆さんで見送った後に出てきた2人。

3度目となるのに相変わらずぎこちなくサインと写真をねだる自分。あの時の自分はマリオネットみたいだった。
初めて観覧に行った時に時期的に元気が無かった時だったので、平子さんに「ハグしてください!」と頼んだ。

すっごいイカツかった。
脱臼ゴリラだった。
毎回新鮮に抱きしめてくれた平子さん、あざした。
毎回覚えててくれた平子さん、あざした。
ビショビショの自分を抱きしめてくれた平子さん、あざした。



お金を少しでも浮かせるために代々木駅前のネットカフェに宿泊し、その日は終了。BLUE GIANTとか気になってたけど読む気力が沸かなかった。23時にはダウン。


翌朝はチェックアウトもあったので、7時には出て次の日の予定を近くの喫茶ルノワールで。
大荷物は駅のロッカーへ。
さて、東京2日目め。どう料理してやろうか。
炒めるか焼くか煮るか。

リュックに最低限度の荷物を詰め込み計画を立てる時間は割と好きだった。毎度毎度代々木にはお世話になっている。今、思えばこの近くで若林正恭氏はバスケやってるのか。この当時はヨメ見えてたのかな。

近くを検索し、出てきたのは明治神宮
神社仏閣等の知識は皆無と言ってもいい自分なので、神の家に土足で上がり込むような行為だと分かっていても、その当時の自分は神にもすがりたいような気持ちと状況に立たされていたので、即決定。

喫茶ルノワールを出て昨夜、東京の持つ嫌悪感を忘れさせてくれた空間には見知らぬおじさんが1人黙々とラジオに勤んでいる姿とそれと対照的にアレだけ観覧に来ていた人は1人もいなかった。
それがここの日常。それが代々木の土曜日。
当たり前を繰り返して成り立つ日常に非日常が差し込む瞬間は簡単には訪れない。そんな顔でラジオにあのおじさんは勤しんでいた。
代々木駅前の土曜日の朝は何かしらの武道へと足を急がせる人々がやたら目につく。
おそらく薙刀あさひなぐ読んでいたお陰で分かった。

明治神宮に向かう前に必ず東京に来ると、行う土曜日の儀式が自分の中である。
それを行うべく、再び昨日平子氏に抱かれた地へ。
儀式を済ませ、明治神宮へ。

見知らぬ地をひたすら携帯の地図を頼りに明治神宮へ。



神社仏閣等に知識が無くとも、ここから感じた目に見えないパワー。何故か受験期に願掛けをする人を下に見ていた自分はそのパワーの前で無力同然。おみくじだって信じてはいなかったけど、引いてしまう自分。無力無力。

その後、近くを再び検索した所、新宿が近くに。
乃木坂工事中で桜井玲香さんが「代々木公園の次は新宿御苑に行きたいな!」と言っていたのは近いからなのね。
田舎モノ丸出しの自分、一つ学ぶ。



目的地を新宿御苑へ設定。
元々、都会!って感じの所は避けたかった。
人に酔うし多分もう行きたくなくなるはずだと思い避けた。
「公園に入るのにお金を払わなければならないのか、東京という街は!」と新宿御苑の入り口ゲートで思っていたが、そんな邪念は再び新宿御苑の広大なる都会には失われていたはずの純度120%の緑が無力同然に。無力無力。
スマブラなら2つめのストックを失いました。
余談ですが、僕はファルコを良く使います。

時々、iPhoneのシャッター音は下品に感じる瞬間がある。iPhoneをお使いの方は共感してくれるだろうか。あのシャッター音なんかなぁってなる。新宿御苑明治神宮のような人の黒い部分を圧倒的パワーでねじ伏せる場所には特にミスマッチだけど、やっぱり撮ってしまうのだ。一眼レフのシャッター音は上品だと思う。同じ写真を撮る行為にここまで差を感じて生きている人間が面倒な性格であることぐらい自分が一番分かっている。


続いての目的地を新宿御苑内のカフェ的なお店で探す。少し前にチュートリアルの徳井さんとピースの又吉さんの番組を見た。又吉さんの火花も劇場も読んでいたし、又吉さんのどこか文學チックな大喜利が大好物な自分が次に狙いを定めたのは神保町だった。
お店の人に聞けば、そこそこ遠いと言っていた。

田舎モノの自分にとって都会の電車の乗り継ぎはもはやインディ・ジョーンズだ。
それでも、携帯の利便性には驚かされる。
早朝の土曜日を自分を無理やり動かして神保町には何とか辿り着いた。

駅から出て騒然、仰天、大発見。
古本屋のバイキング。

「こんな街があるのか!?」と驚き。一度、目にしてみたかった神保町はタイムスリップへの入口に立たされた様でまだここに来るには早かったなと数時間前の明治神宮と似た感覚を再放送させた。

行きたい所にはある程度行き、神保町のラーメン屋で麻婆ラーメンなる胃が悪くなるにはうってつけの料理を平らげた所でここでポツンと思ったこと。

あと、どこがある?




…よし、もうお腹いっぱいだ。二つの意味で。

ということで、この旅の目的地である「恋のヴェネツィア狂想曲」講演の地、新国立劇場・中劇場へ。
開演は17時からでその時点では14時前後と持て余すにもほどがある時間だったので近くの喫茶店に入った。

時期的に他力本願ライブのネタの締め切りが迫って来ていたため、その喫茶店でネタを書くことに。
南海キャンディーズのネタが書ける喜びを噛みしめながら書いたけど、結局不採用。漫才の書き方、どこかで誰か教えてくれたっていいのに。ユーキャンとかにないかな。

ネタを書き終えた所でさて何をしようか迷いに迷いふとリュックの中に1冊の本が入っていることを思い出した。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

若林正恭



人が巡り合うには色んな条件、運が積み重なるようにそれは本も同じだと思う。その時、環境、心境などに適した本があると思っている。現に未須本有生の「ドローン・スクランブル」を買ったにも関わらず難しくてまだ何ページかしか読めていない。少し前までこの本、読めないかもと蕎麦屋のミニカツ丼セット並の大きさの挫折を味わっていたが、そういう時期があるとふと又吉さんが言っていたのを思い出して少しだけ気が楽になったのでこの本は今も寝かしてある。

そして、このキューバのギャグエッセイ。(デレクジーカーさんのネタメールより引用)
結論。この本持って来てて良かった。

公演直前までこの本を読むことにした。
キューバの通貨を間違って解釈していた話、キューバの革命家の話、ビーチで現地の人と揉めた人の話。



楽しい。若林さんの書く文章には嘘が無い。
楽しい。持って来てよかった。

サラリーマンが僅かな昼休みで定食屋で昼食を平らげるスピードで読み進めていたのだが最後の一口が入らない。


ruta 26「マレコン通り」


若林さんがなぜキューバへと向かうことにしたのか。
僕はここへと辿り着くまできっと好奇心からだろうと勝手に想像していた。
その答えは大分検討違いだった。
数学の証明問題でまるで書き進められないあの時の感覚に似ていた。

隠れた父親の思いを背負って。

それが全てでは無いにしても、若林正恭という男は決して冷徹でもシリアスでも何でも無いと思った。

ただただ人と深く深くありたいのだ。
自分のような泥水すらすすっていない人間と重ね合わせても迷惑だろうが、若林さんが過去に語ってきたこと、本に記してきたことが酷く痛く共感出来てきたことは性格が綺麗に重なる部分が多すぎるのだろう。

人見知り(今はきっと若林さんは違うであろうが)、女子への苦手意識や偏見、ファッションへの疑問、何かにつけて負けた感覚への自分に対する劣等感と卑屈な感覚。


東京にこの本を持ってきてよかった。
でも、やっぱり読むべきじゃなかった。
新国立劇場前で。東京で。

だって、夕方の澄み渡った空を見上げて泣きそうにさせるんだもの。頭のおかしい奴だと思われないでよかった。
自分の両親はまだまだ元気だけど、あと何年かけて今までしてもらったことを返せるだろうか。



今年5月辺りにメンタルクリニックに通い始めた。
例えば自分が骨折などをしていた場合、骨が折れていると判断が出来るから病院に通わないといけないがメンタルクリニックは自分で通うという判断が出来る所まで自分で自分を持って来ないといけない。


それすら出来ない時期があった。
オールナイトニッポン0をほぼ笑うことなく誰かに決められた工場での作業かのように聞きそれが終われば無理矢理自分を寝かせる。
畳まれない洗濯物と溜まるゴミを分かっていても処理出来ない自分が腹立たしいとも思えなかった。
それがやっと出来るようになった5月、自閉症だと言われた。
ショックというよりは病名がつく状態なのかと判断出来た自分に少しだけホッと出来ていた。でも、やっぱり邪魔でしょうがなかった。こんなもの。
メンタルクリニックの先生は毎回優しく30分自分の話を聴いてくれた。思えば若月佑美推しであることをちゃんと人に言ったのはこの人が始めてかもしれない。


そういうことの積み重ねと本の巡り合わせがキレイにバッティングしてここで爆発した気がした。
夜中に無意味に近所の大学が持つグラウンドに忍び込んで歩いて、寝転がり夜空を見上げたり自転車を無意味に飛ばした夜があった。
アジカンとか銀杏BOYZやきのこ帝国がやたら身に染みて泣きそうな夜があった。あ、これに関しては今も普通にあるや。

そんな悔しさとか虚無感がずっと夢遊病状態。
2019年、鏡に映る自分の顔を見てムカついたことなんて数え切れない。



あ、いかんいかん、この旅の目的はここじゃねぇ。

時刻は17時前。
恋のヴェネツィア狂想曲、素晴らしく笑える舞台でした。


ムロツヨシ、吉田羊、堤真一池谷のぶえ賀来賢人みんな大暴れでした。
席は遠かったですが若月専務、バリカワでした。

その後は再び代々木駅前のネットカフェと大戸屋にお世話に。
ネットカフェ、寝る所が独房みたいなこと以外は好き。
そして、東京を後に。
また来ます。
東京、おやすミッフィーちゃん。
アディオス。




急だな!って言われるかもしれませんが

お酒が飲めない。
下戸だとか体質的にとかではなく潰瘍性大腸炎という病気を自分が持っているからだ。
国の指定難病に指定されてはいるが、普通に生活は出来ている。
この病気になっている人で一番有名なのは現在の首相である安倍晋三首相である。
一度、安倍首相は総理大臣を退任しているがこの病気が原因である。有名な話かもしれないが、もし知らない方、興味のある方は調べてみてください。この病気にかかってから自分は知りました。
お酒が飲めないことは苦痛ではないが、その先にあるものやハンディキャップに感じる部分が嫌なのだ。

お酒が飲めないと腹を割っていないみたいに思われそう、本音で話していないと思われそう、ノリが悪いと思われそう。飲めないんですと言えば簡単だが変に何故か嘘をつけない性格でこのことをバカ正直に答えてしまう。そして、変な心配をされる。その空気が嫌だ。
そういう席に行かない判断は正直、簡単に出来る。
でも、自分みたいな人間こそそういう席に行かないといけないことぐらい自分で分かっている。
あと単純にお酒がどういうものか味わうこと無く死ぬのが悔しい。トライ&エラーのトライの部分が無いのだ。

話を再び戻しますが、通うメンタルクリニックを変えることとなった。
一時期、通わずに過ごせていたのだが再び通うようになったのは、キッカケはチュートリアルの徳井さんが所得隠しの件でニュースになったのを見て。
徳井さんはあの件で世間から厳しい目で見られると同時に精神疾患があるのではないかと疑われた。
同じような状態にあった自分からすれば、徳井さんのあの会見は少し違和感を覚えた。
元々、チュートリアルの漫才が好きだったからかもしれないが、徳井さんを完全なる「悪者」として見ることが自分にはどうしても出来なかったのだ。

ということで再び通い始めた結果、今度は適応障害の疑いがあると言われた。
ロンブーの亮さんが現在、かかっているやつです。










行き過ぎた考えかもしれないが、多分人は一度ぐらい「死にたい」と思ったことが誰しもあると思っている。





高校の頃、恋愛絡みで三角関係的なことになり、とにかく学校に行きたくなかった。
毎日、登校時に嗚咽が止まらなくなった。
教室で当たり前のように仲睦まじく話す2人を見ていると、昼休みに食べる弁当は消しゴムとかその類を食べているかのような感覚に陥った。
毎朝、高校に行く道中で地元でも大きめの病院の前を通るのだが、その時日課のように考えていたバカげたことを思い出した。






「もし、今自分が道に飛び出して車に轢かれればすぐに病院に運んでもらえて入院出来て学校行かなくて済むのにな」





結果、そんなことは出来なかったしする勇気さえ無いほどのビビりだった。これがビビりかは分からないが。




こうやって自閉症だとか適応障害とかって言われてブログに冷静に文字に書いてみて振り返ってあの時の自分を双眼鏡を使って見てみて分かったこと。


あの時の自分はどうにかなりたかったとかじゃなくて、至ってシンプルに死にたかったんだなということ。



そして、今だから思えること。



あの時、死ななくてよかった。



あの時、好きだった子もアイツも絶対自分の存在なんて忘れてるに決まってらぁ。
人ってのは案外、いい加減だし忘れっぽい生き物だから自分みたいな人間の存在なんてぐらいで思っとかないと結局、誰かへの過多な依存は甘えでしかないってやっと思えるようになったら1人の時間も友達といる時間も大事にしないともったいないと思えるようにようやくなれた。


最近、読んだ精神科病院での日々を書かれた漫画でとある患者は死にたいと思ったら3年後に死ぬと考えるようにするらしい。
その3年の間に色々変わるかもしれないから。






これ以外にも死にたかったと思うことと恋愛の失敗エピソードが積み重なっておりますが、今はまだ書きませぬ。
一個だけ失恋エピソードを書くなら中学の時に3年間唯一同じクラスだった女の子に目を見てハッキリと「キモっ」と言われたこと。
チキンライスの歌詞のように貧乏自慢ですかという顔をする奴ならぬ不幸自慢と思われてるかもしれないが、でもあれだけ不幸だったんだ。
せめて自慢ぐらいさせてよ、自分のブログなんだし最後は笑いに変えるし。





人見知り、適応障害潰瘍性大腸炎、お酒が飲めない、女性へのトラウマ。
他も多分上げればきっと色々出てくる人間としての自分のボロ。
自分だけハンディキャップ多すぎやしませんか?


もうここまでボロ負けになってみて分かったこと。



もう多分、ここから下に落ちることはきっとないと思う。
今の自分はボロ負け過ぎてジョーカーみたいにケタケタ笑ってる。

今年1年の自分を表す漢字一文字は『悔』。
いい思いも悪い思いも全部飲み込み、自分という人間のレベルの低さからくる悔しさ。



とりあえずダラダラ生きるのに飽きた。
しょうがないよって言葉をかけられたくないしもう過保護に同情されたくない。病気クソ食らえ。
もう多分傷口に塩を塗りたくられて痛くないような気がした。


何かに没頭することと何かを生産することが精神的に良いらしい。
毎日「ちょっとだけ」本気でユニゾンエアーをやってみる。
「ちょっとだけ」本気でメールを送ってみる。
「ちょっとだけ」本気で病気と向き合ってみる。
「ちょっとだけ」本気で人と話してみる。
「ちょっとだけ」本気でブログを書いてみる。


それでも世界は変わらないと思う。
でも、何も出来なかった時期の自分には二度と戻りたくないしあの頃の自分を今すぐコーナーに追い詰めてボコボコにしてやりたい。


世界が変わらないならもっと大きく動けって言われてるんだなって思うようにする。
誰にもこのブログが刺さらないなら、誰でもいいからご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。


某漫才師は再び舞台に帰ってくるまで10年かかった。
またとある某漫才師は10年かけて武道館でライブをやった。
某漫才師は結婚への葛藤から涙を流していた。

それぐらい大きく動いていく1年に来年は出来たらいいな。


あぁ、デートとセックスしてぇ。
やっぱ素晴らしいものなんですかね。

あとあのコーナーとあのコーナーでメール読まれたい。
あと…




たりないひとり。


上半期は全然送れなかったメールが下半期になって少しずつ楽しみながらメールを送れるようになったのは自分の中での成長、いや、変化だと思う。






まだまだ色々書きたいことは沢山ある。
とりあえず今年のうちに消化しておきたいことをほんの一部ではありますが。

今まで出会えた全ての人々にもう一度いつか会えたらどんなに素敵なことだろう。
峯田和伸さん、引用させていただきます。


ぱーかーさん、今度東京行ったらかおたん奢らせてください。





さて、そろそろ終盤です。
東京に降り立ち代々木へと向かう道中に必ず聴いていた曲の中の歌詞を一部抜粋。



口紅を引いてみたら
君の事が分かるだろうか
東京タワーの代わりに
見てほしい 赤い気持ちがひとつ



東京というタイトルの曲は大体名曲。
くるりミスチルもきのこ帝国も。


そんな中でも特に好きな曲。


東京/Base Ball Bear



このブログのタイトルの「拾うまでもない話」ってのは本当に思いつきでしかなかったけど後付けさせてもらえるならブログなんて悪い言い方をすると、
自己満足。

でも、自己満足ですらやれなかったから今、こうやって出来ていることが大事なんだなと日々思う。

何よりやらねぇ奴が語るなよ精神で何でも積極的にできるように2020年は頑張ります。
拾うまでもない話だけど、捨てることは割と簡単だったりする。
でも、拾うためには一度立ち止まりしゃがむ必要があって。
そういう風にしたいし、なりたい。
ただ捨てるだけの人間にはなりたくない。
拾われたいし拾いたい。



適応障害になってみて分かったいくつかのこと。

  1. 人は案外、冷たいし人の評価はいい加減。
  2. だから、自分がしっかりすれば自ずと色んな結果はついてくる。人に期待するぐらいなら自分の力を過信してでも自分で。
  3. ポジティブな意味でもネガティブな意味でも「自分なんて」とか「自分みたいなものが」ぐらいで人と付き合っておくと、重くならずに済む。
  4. 「面倒くさい」と思う前に勝手に身体を動かせば、後は流れで行ける。
  5. 意志を示さない者を救ってくれる世界なんてこの世には無い。
  6. 嫌いなものに目を向けるほど、自分の人生は暇じゃない。
  7. 桑田真澄の野球は心の野球
  8. 「嫌われてナンボ」ぐらいの方が人と程よく深く付き合うべき人を選別出来る。 
  9. 近い所にいる人ほどしばらく距離を置くことで久々に会って楽しい話が出来る。
  10. ラジオへのメールはウンウン悩んで捻り出すようなものよりも楽しみながら送った方がいい。(矢作さんの教訓)
  11. 1日1個新しいことをして、何かを生産することは精神的に良いらしい。

今はラジオにメールを送ることを楽しめている自分がいて、なおかつちょっとしたリハビリ期間だとも思えるようになれているので良かったなと思う。







んー、気分転換にRN変えようかなー。




次に東京行く時は銀杏BOYZの東京聞かないと。
でも、そうなるとイヤホンすることになるからまた1人?







代々木スタジオVIViD横。
土曜日の朝は必ずここに一礼することを儀式にしています。





明治神宮






新宿御苑の一コマとカフェで買ったいちごソーダ金木犀の香りのボディクリーム。





新国立劇場近くの喫茶店にあったイチローのサインボール。








これを読んでいるおすすめの漫画、アーティストなどを教えてください。
とにかく新しいものを取り入れようと必死なもので。





ご清聴ありがとうございました。
良いお年を。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。


長崎県 RN 緑のサカナ (改名しようか考え中)
(noteも登録してるけど使い分け方も考え中)