nfbanana’s diary

どこかの誰かの戯言

5.合法的でたりない-拾うまでもない話


恥ずかしながら先日の山里亮太の不毛な議論で初めて
Creepy Nutsたりないふたりを聴いた。
リズム感とかテンポとかみたいな言葉でしか音楽の好き嫌いを表現出来ないが好きな歌だった。

歌詞の内容や題材はオードリーの若林さんと南海キャンディーズの山里さんからなるユニット「たりないふたり」を見てそれをベースに作られた一曲である。
飲み会オフ会女子会等が苦手な人間の葛藤を描いた一曲である。

その歌の中で「映画観たい 漫画みたい 本読みたい でも交尾したい」とある。
やっぱり自分のような音楽的知識の無い人間は「このテンポやリズムが好き」とか以外だと歌詞の内容や言葉としての表現力の旨さに惹かれて好きになる傾向が多いように思える。当たり前か。そりゃそうか。

正直、自分も人に会うぐらいならエンタメ的知識を少しでも自分の中に蓄えて何かを吸収して生きていたい。…と思っているようなそうでもないような。
前までは「そう思っている。」と断言出来た自分なのだが、最近色々と自分はまずい方向に向かっている気がしてならない。



あまりにも女性と喋っていない。
自分に変化がない。
特定の人としか喋っていない。
人と喋る時の第一声に必ずと言っていいほど「あ」というのをクッション代わりに置いてしまっている。
元々、小さい声がもっと籠りがちになっている気がする。






…たりない。まぁ、たりてない。

マジでどうしようと思う毎日。オードリーの若林さんの「人見知り学部社会人学科卒業見込」にてネガティブの対極にあるのはポジティブではなく、何かに没頭することだと書いてあった。このことは文學的にも科学的にも証明されているらしい。これを独自のルートで導いた若林さん、鬼リスペっす。

ということで、何かに没頭して生きましょう!

と決意したはいいもののどうしたらいいか分からず、日中はもう意識を色々と飛ばすか別のことを考えながら、生きている。日中はそうするしかない。

バナナマンの設楽さんが自分の中に3人の自分がいると言っていた。
「破壊」「謙虚」「その間の仲裁役」
だったかな?



設楽さんと言えばドSというイメージがある人も多いと思う。人の耳元で空砲売ったり、竹刀が壊れるまで人をメッタ打ちしたり若手の頃には、野良猫をライターの火をつけながら追いかける(これは本人曰く一回だけ)とナチュラルドS。
そんな人が平日は帯で情報番組をやっている。


ここぐらいにしか吐き出せないので書くが自分の中にも3人いる。というか、みんなそうだと思って生きている。というか、そうだと思わないとやってられない。


「破壊」の自分が表面に出ないのはやっぱりある程度の理性というストッパーである「謙虚」が頑張ってディフェンスをしてくれているのだろう。
仮にもし「謙虚」の自分がいなかったのならとりあえず自分が第一にやりたいのはオードリーのオールナイトニッポンのチェ・ひろしのコーナー内で春日さんを若林さんがドロップキックするかのように「俺にドロップキックしていいよ」って人にドロップキックしたい。
ただそもそもそんな人がいない。
あのコーナーの時の若林正恭は合法的にトンでいる。

フジファブリックの夜明けのBEATのMVの森山未来みたいに走り踊り狂いたい。
この間のボクシングの井上尚弥みたいな試合を展開してみたい。
IPPONグランプリ出て写真で一言ルーレットを3本連取してみたい。
福田雄一作品で急にアドリブぶっ込んで共演者を困らせたい。

いや、どんどんたりないふたりの歌詞みたいになってんな。あと、アホだな自分。


ただあくまで合法的でならないのは概ね理解しているつもりで近年目立つアホに成り下がってはならない。
煽り運転とか教職員のイジメとかのニュースを見ていると胸クソ悪くなる。
一貫して言えるのはそういうニュースは理性を忘れた人間が他者を攻撃しても良いという持ち合わせていなければならないはずのストッパーをどこかで壊してしまったかまたは、自己顕示欲をチョコレートフォンデュの中につっこんだフルーツぐらいにまみれてそれを浴びた人が覆われ支配された人間が目の前が見えなくなった感じになっているのであろう。

ダラダラ書いているが常識的で当たり前のこと書いてるよね。

不倫はダメ!って風潮はあるのにドラマ内ならOK。
これはやっぱりドラマだからなのです。
ドラマの不倫と世にはびこる不倫報道の違いは毎年夏に高校球児を特集する熱闘甲子園みたいなものだと思う。
結果、その試合が10-0だったとして野球に詳しくない人、見てない人が結果だけ見れば「10点とったチームが強い」「1点も取れなかったチームは弱い」と思う人がいる。

でも、その野球の裏には駆け引きや惜しかった場面などが沢山あるワケで。
熱闘甲子園すら見ない人間にとやかく言われたくないわよねぇ。
ドラマの不倫も現実の不倫もただ不倫をしているのか、その裏にある複雑な事情をみんながみんな知っているワケではないのでしょうか。
現実の不倫がタチが悪いのはドラマみたいに背景を放送してくれないし、見出しでドーンと突きつける感がハンパない。
そして、そこに土足で槍を突っ込んでいくワイドショー。
ワイドショーの鼻、爆発して死ね!
ワイドショーの鼻、爆発して死ね!
絶対に伝えたいから2回。


それを知らずに反射的にそんな発言が出来てしまう人間、悪口を言えてしまう人間を怖く思う。
「悪口を言うな!」ではなく「悪口をみんながみんな美味しいと思うな!」。

ワイドショーの鼻がどうとか言ってるクセになんかコメンテーター紛いなこと言ってすいません。


少し前に話をタイムスリップ。

この間、行きつけのカフェの店長に悩みを聞いてもらった。
2ヶ月ほど通ってようやく店長と喋れた。
2ヶ月の間、他にお客さんがいて聞かれたくなかったり、小ちゃい子供が来て元気にはしゃいでいるので中々1対1で話せず帰る事が多かったのでようやく今日!って日が来たので話した。
ただ閉店間際だったのでもう少し早めならと思った。
とりあえず自分の今の環境下に置かれている特定の人間以外の人と久しぶりにちゃんと喋った気がする。第一歩。
あんまり頻繁に行ってもネタが無くなるのでしばらく行くのを空けよう。
店長、いい人だったけどやっぱり女性と喋りたいな。。
今度、もし同年代ぐらいの女性が来てそういう機会が来たら勇気出してみよう。
頼む!次行く時イイ感じの人来い!
ちなみに少し前にイイ感じの人が来たのですが、年齢が少し離れていたので色々と誤解を招くかもしれないと思い、踏み切れなかったのはおよそ1割の後悔と9割ほどの正解だったかもと思う気持ち。



たりないふたりの歌詞にある映画見たい 漫画読みたい 本を読みたいという欲などは内在的なものを築くための行為で言わば内装を手がけているのではないかと思う。
そこまで考えて1人で出来るそれらの行為をしている人なんてどれぐらいいるか分からないけど、少なくとも自分はそう思いながら、でも心のどこかでただただ外に向けて内在的なものや自分を発信することにビビっている自分がいるんだと思う。


元々、人になかなか心を開かず話しかけにくいオーラを出すのが得意な方で。これを得意としてしまっているのは流石に情けない年齢になってしまった。
年齢が猛スピードで自分の性格を追撃しに来てそろそろ追い抜く恐怖がある。

女性と上手く接することが出来る人はきっと学生時代から築き上げてきた基盤を軸に動けるけど、それが無いし今から作らなければならないと焦りがある。



才能も無いし男としても人間としても魅力も人望も無い。
それでも楽しく生きられたらそれがいいのかもしれないけど、そうじゃない自分が悔しいからブログにこうやってダラダラ長く書いている。


悔しさとか妬みとか嫉みで終わらせることは出来るけど、それをどこかにぶつけないとという思いでとりあえず手始めにブログを一つの手段として。
とりあえずここ最近は色々やるようにしている。

地元なのに全然行ったことない場所に行ってみる。
字が汚いのでTSUTAYAでボールペン字の練習帳を買ってやってみる。
前ほど無くなったメール投稿意欲を短文系のコーナーから少しずつ始めてみる。
星野源さんがサブスクリプションを解禁したので、Apple Musicに入会して聴いたことない音楽を聴いてみる。
また対照的にダイヤのAをまた1巻から読み直したりナナメの夕暮れをもう1周読み返してみる。

…やっぱり全部内在的である。
いつかこれを外に爆発させたいという思いとさせなきゃいけない誰にも言われるまでもないのに勝手に使命感に駆られて焦りにまみれている。






でも、冷静になって考えてみたら意外と答えはシンプル。

女性が好きだからお付き合いしたい。
面白いと思われたいからメール送って読まれたい。
きっと楽しいだろうからいろんな所に行ってみたい。
色んな手段に使えるだろうから、お金が欲しい。




つまりは俺には「何か」たりない!
合法的に足りない!

それだけ。




P.S. 11日ぶりにかつての狙女からLINEが返ってきたのですが、自分の気持ちがその人から離れてしまったので今後の会話の展開に困っています。
誰か助けてください。
あと、オススメの映画と洋楽を教えてください。











若林正恭さん、心の底からご結婚を祝福いたします。
また本書いてください。