nfbanana’s diary

どこかの誰かの戯言

2.〇〇の器-拾うまでもない話

バイトを始めて1ヶ月ほど経つが未だにミスが多く凹んでいる。

オーダーミスもたまにするし、レジ打ちもまだ慣れず厨房にも色々迷惑をかけることが多々ある。
その度に店長に注意されたりするのだが、正直怒られることに対してはなんとも思っていない。
言い方に語弊があるが怒られることよりも自分の仕事の効率の悪さ、飲み込みの遅さ、不器用さなど上げればキリがないほどのそういった数々のことの方が勝つので怒られることより反省しなければならないことに比重が偏り、天秤にかけたら圧倒的にそっちに傾くのである。


昨今、パワハラだの炎上だのでこれがダメあれがダメという世の中になっている。だから僕さえその気を起こせば、僕を怒るあの店長もどうにかなるのでは?とかアホなことをバイト中に考えたりそうでもなかったり。


性格的なものもあって両親に反抗出来ず、ここまで生きてきたので誰にどれだけ理不尽なことで怒られても自分を責め立てる構図が自分の頭の中で出来上がっている。ちなみに怒られている時に本当にイラッとした時は太もも辺りをギューっとするようにしている。(この事をこの前初めて人に話したらまぁまぁ引いてた。)
ところで、これはアンガーマネジメントと言えるんでしょうか?お客様の中にどなたかアンガーマネジメントはいらっしゃいませんか?


なお、決して僕は店長に対して怒っているワケでもないしただただ自分の要領の悪さに憤りを感じているまでだ。悪しからず。

自分は昔はとてつもなく短気でそのことで人に怒られたりトラブルを起こしたりしてしまったことがまぁまぁあり、その経験を経て今はなんとかアンガーマネジメントという武器を自分の中に持っている…つもり。


先程は昨今パワハラだの炎上だのが増えたと言ったがそもそもは怒る人が増えすぎたように思えてならない。


それの決定打とも自分で思えたのは今年の正月だったか久々にバナナマンバカリズムの番組が復活するとのこと。
喜んで見よう!…と思ったのだが、内容は女性タレントがこういう女性いるよね!ってのにひたすらキレるという内容。大好きな3人がMCだったが、途中で胃もたれしてしまいTVを消した。


昔はそれこそ自分もそういうので笑っていたので強く拒むことも否定も出来ないがどこかでもういいやと思うようになり、そこに刃を向けること自体減った。


ここまででの自分で書いたことを自分なりにまとめると、結局みんな受け止める器が何かしらの形で欠けて削れてしまったように思えた。もちろん自分も含めて。
ハラスメント、不謹慎、下品、不愉快などでクレームの電話をする人の受け止めるための器の小ささ。
それらの原因を作ってしまうすぐ怒る人の器の小ささ。
人をナナメで見て笑ったり怒ったりすることの器の小ささ。
こういう文章を書けば自分はちょっと優位に立てると思ってしまっている自分の器の小ささ。


同級生の同窓会の誘い方とかサークル特有のノリとか
モラルのない何かのファンとかSNSに載せた所で話題になるだけなっておしまいだから、載せて何になるんだろう?とまで思うようになったのでSNS全部やめようかなと思うことが増えたりもした。

でも、実際そう思うことが増えて、増えるぐらいならやめようと思ってズルズルして今に至る。

誰かが人を笑わせるより怒らせる方が簡単だなんてことを言っていた。その意見を聞いてからTVを見ると確かに!ってなる番組をよく見るような気がする。
毎回「何に怒ってんのこの人たち?」って思う番組のCMが多いし、一番酷いなと思ったのは某お昼の番組。冒頭からいきなり「世間は今何に怒ってるのか?」という街頭インタビューから始まる。
前番組だった国民的番組とは真逆中の真逆。
だって前番組はタイトルに「笑って」って付くからね。









とりあえず自分でこうやって書いてみて思ったことは二つ。
器を大きくすることとアンガーマネジメントをしながら人を笑わせられたらいいな。




2年前の夏に人生初めての入院を経験した時の話。
男女別にお風呂に入る日が決まっているので入れるのは一日置き。確か男子は月、水、金に入れたはず。
そんな病院のお風呂なのですが、僕は潰瘍性大腸炎という胃の病気だったので消化器内科という所に入院していました。そこは病気の内容もあって、同年代はほぼおらず年配の方が多め。
話し相手もおらず、まぁ何とも言えない日々でした。
そんな中、とあるお風呂の日。
たまたま一緒になったおじいちゃんがとても気さくな人で話しかけてくれました。
そのおじいちゃんが色々とこれまでの人生経験の話をしてくれたのですがこれがとにかく胸に刺さり今でも覚えています。

何度も入退院を繰り返して薬を何種類も飲みながら、登山を趣味にして山を登った時の快感を生きがいにしていること、そして奥さんを亡くしているにも関わらずその人はとにかく明るかったです。
登山をしているだけあって身体つきは年齢とは裏腹にとてもいい身体つきをしていました。

その頃の自分と言えば人生初めての胃カメラや入院を経験したり13年飼っていた愛犬が天国に旅立ったりもあって、とにかく落ち込んでいた時期でした。




しかし貴重な話を聞いて自分の置かれている立場、弱さ、心情全ての器の小ささに打ちひしがれた感覚。

あの時、あのおじいちゃんがせめてどこの部屋の人かぐらい聞いておけばよかったな。




寛容的で器の小さい人から後悔していくかのように出来ているような世の中。
その器も怒るべきや悲しい時には割るべきではあると思う。