nfbanana’s diary

どこかの誰かの戯言

4.赤い小さな車と黄色信号-拾うまでもない話

B PRESSUREのリリースイベントに行ってきた。
二度とないあの石橋貴明に会えるチャンス。
絶対に逃すまいとしてグッズを友達に列に並ばせて買っておいてくれと頼んだ。申し訳ない。
そして、友達と合流しグッズとお金を交換。受け取ったグッズと共に驚きのものが。



なんと優先エリア券、まさかの1番。
これは一生忘れられない!

正直に言うと両親の影響で見始めた「みなさん」での石橋貴明、「スポーツ王」での石橋貴明など主にバラエティでの石橋貴明しか知らなかったので、「野猿」の石橋貴明などの知識はほぼ皆無で参加した。
リリースイベントはおよそ30分程度。時間にすれば短い。あの石橋貴明なんだからもっと会場はZeppなどを抑えればいいのだが、初心忘るべからずといった感じで目の前だけを見つめ踊り歌う石橋貴明はとてつもなくカッコ良かった。いくつになってもチャレンジャー。もうどまん前でした。出てきて3分程度で帰ったりの茶番なども含めてらしさ全開。3年後にヤフオク!ドーム(今はもうペイペイ?)ドームに帰って来ると高らかに宣言し、帰っていく姿。
最後にハイタッチをして満足。思ったより威圧感というよりは優しい人といった感じでした。


さて、自分の中ではここからが本題。
いや、石橋貴明に会えたのはビックイベントなのに前菜扱いかい。
本題というのは、自分で自分に疑問と違和感がカフェオレのように混ざった複雑で今まで見えなかった感情が渦巻いてきた。それはあの石橋貴明に会えるというのに、全くと言っていいほど緊張しなかったのだ。
列に並んでいると、近くのいかにもとんねるずど真ん中世代の人たちが優しく話しかけてくれた。
その人と話していると「全然緊張してないよね?」と言われた。
元々、感情が顔に出にくいタイプではあるのだが今までそういう人間だと自分を自分で認識してきた。だがその日の夜、ある出来事が自分で自分を客観視した時に恐怖とか不甲斐なさを痛感させ、それがある意味突破口を開いた(と勝手に思い込んでいる)。

その日の夜、友達にクラブに行こうと誘われた。
友達は自分に対して性格、人間性などの理解がある優しいやつなので色々クラブについて教えてくれて、行くかどうかは任せると言われ僕は偏見を持ってこういう所をいつまでも毛嫌いしている人間に成り下がるようではダメだと思い、社会勉強になればと思い友達と友達の友達と3人で参加した。
結果として、クラブは思っていたより悪い場所ではなかった。元々「クスリとかの密売があるのでは?」や「酔っ払いが喧嘩し倒しているのでは?」などのまだまだ書こうと思えば7並べのように繋がっていく恐怖のイメージがあっただけにそれが無かったのは良かった。
ビルの9階に上がり2000円を払って中に。
中に入ると思った通りの大音量、スポットライト。
これはイメージ通り。
ドリンクを交換して友達にしばらく付き添っていた。

まだこの話は続くのだが結論として僕が行ってみて解釈したクラブとは『2000円を払ってドリンクは飲めるのであとは自由にしてはよいがせっかく来た以上はこの狭い空間で人との交流、異性との交流、スキンシップ等を己の持つコミュニケーション能力でスーパーの野菜の詰め合わせのように沢山のことを持ち帰るようにしましょう』と人によっては放任主義かつプレッシャーでまたある人によっては色んな意味でのチャンス製造所と思えた。
大音量とスポットライトの中で壁際で1人そう思えた空間だった。
少しだけ人に酔い、外の風に当たり戻ると友達と友達の友達が女性と仲良くなっていた。完全に2:2の構図が出来ていたのでしばらく友達から距離を置いた。
5時間いてクラブで僕が行ったことが以下である。

・ドリンクを2杯飲む(ちなみに自分はアルコールがNGなのでソフトドリンク)
・靴紐を女子トイレの近くで結ぼうとしたら「女子トイレですよ」と言われる
・足を女性に踏まれる
・女の人にそこどけよみたいな感じの顔をされる
・スペースを譲ってお礼を言われる
・お店の店員(男性)とクラブではなく外で話す


…情けない。大惨敗。
クラブに行って女性と全く話さず連絡先も交換せず、帰るやつなんて日本で自分1人ではないだろうか。帰りに友達と友達の友達は仲良くなった女の子とカラオケに行こうとしていたので気を使わないでいいよと言って自分は帰った。
その帰りに一日にあったことを思い返して、僕は怖くなった。
まずは自分のコミュニケーション能力の圧倒的低さ。
クラブの根本的なことを覆してしまうのだが、あんなにうるさいと仲良くなりたいのに話せないよ。と、思っていたがクラブがうるさいことを差し引いてもあまりにも喋れていなさ過ぎた。余りが大きすぎて余りにもなっていない。余りの方がメインのお弁当になっちゃってるよ。もはや場所とか関係ない。
クラブ自体は小学校の頃の道徳の授業のようなもので楽しめればそれがいいが、必要とも不必要とも言い難いものなのでそこはいいのだがあの空間にいる5時間ばかりは楽しむべきだったのだ。
物事には合わないとかもあるがそれは物事自体が合わないか自分が楽しもうという精神を懐に持ち合わせていないかのどちらかでこのクラブでは僕は後者寄りの両者だった。
次に今回のことでクラブを嫌いになれば良かったと思った。嫌いになれば「もう行くか、バーカ」と唾吐いて立ち去れるのだが嫌いになったのはコミュニケーション能力の低い自分だった。ただ、一点だけ反論させてもらえるのなら普通に濃厚な方のキスしてる人とかいてその人たちは「ラブホテルとかに行った方が楽しいのでは?」と思った。恋愛遍歴がもう色々とひどいので、「彼女でも無い人の頭とかを触っていいのか?」とも思った。
そして、1人でもまぁまぁ平気でいれたこと。なんかむしろ人間観察へと徹してた。いや、人間観察ってモノマネとかを芸にしてる人がすることだから。
2000円払って何しに来てんだよ、気持ち悪いなぁ。
気持ち悪くなって時折行ったトイレの鏡に映る自分はつまらなそうな顔をしていたというよりそうなっていた。顔を誰かが変形させやがった。
顔を変形させた気持ち悪い午前2時ほどの顔のままこの文章を書いている自分はクラブは2回目以降は少し検討した方がいい。現在地の自分はコンパスすら持っていない漂流者でした。盛り上がる曲がかかっていても腕すら上がらなかったのだ。
当たり前だが、大人になれば人との交流は自分で開拓すべきでそれを怠ってきた結果があの狭い空間の片隅で死体のように転がり蹴られ倒していた。

帰りながら「テンション 上がらない 性格」でネット検索すると色々と出てきた。
その中に冷めた性格の人の特徴が書かれたのを見つけた。
1.環境への自己防衛本能
2.人間関係のトラブル
3.大きな挫折経験を克服できないでいる

もれなく全て当てはまり怖かった。
1は小さい頃、大人の顔色ばかり伺っていた汚い生き方をしていて自分をそれで守っていた。
2もそれなりに経験してきた。何かと人との関係のバランスを保とうとしていた安易な自分がいた。
3は特に恋愛経験を中心にコンプレックスしか無いのでもうゾワっとした。挫折を忘れたと思ったらふとした瞬間、どれかがパチンコ玉が落ちて行く時のようにいちいち引っかかってしょうがない。
ついでに他のサイトでテンションが高い人と低い人の比較というのがあったのでそこも見たのだが、当てはまることも多々ある中で「テンションが低い人は陰気で暗い友達が多い」とまるで自分を否定するならともかく、自分が築き上げてきた友達との人間関係を全面的に言葉で安易に否定しやがったのでそのサイトはすぐに閉じた。

テンションを上げられないことは態度であり外見であるので言わばそれが自分のファッションなのだ。だから、ファッションがダサいのと一緒。それを伝えるには言葉でしか伝えられない。絵画の魅力を分からない人に解説するの似ていると思う。それが出来ない。それすら出来ない、悔しい。
こうやって文字に書き起こせば伝え方は楽なのに。
贅沢を言えば自分のような同じタイプの「クラブつまらないね。抜け出さない?」系女子さえいれば。

ASIAN KUNG-FU GENERATION転がる岩、君に朝が降るの歌詞に「理由も無いのになんだか悲しい 泣けやしないから余計に救いがない」という歌詞が好きなのだがこの日は痛く刺さった。悲しいのなら泣けばいいのに。悔しいのなら言えばいいのに。人間は表面の部分でまず勝負するしかない。それが当たり前。
ワクワクも緊張もしなくなってしまった自分。元々、とてつもない緊張しいで小学校のころ、ソフトボール大会の開会式の会場でお腹が痛くて吐いたほどの緊張しいだった自分が今は石橋貴明を目の前にしてもしなくなっているなんて。
テンションが上がらないという病気も存在するらしいのでちょっと本腰入れて動くとします。
こういう悔しさとかが何かにつながると信じて終わるとします。ずっと黄色信号が点滅してる感覚。
ご清聴ありがとうございました。
野猿、聴いてみるか。


一番偉い人へ
俺たちは今何をするべきか?

3.もういいよ-拾うまでもない話

今年の夏、他力本願に仁義なきネタライブなどお笑い好きにはたまらないイベントにどれも参加しなかった。死ぬまでに一度は行きたいと思っていたバナナマンライブのライブビューイングすらチケットを取らなかった。


理由をつけるとすれば何か考えたけど結局、見つからずじまいだったけど一つ断言出来るとすれば「もういいよ」というたった5文字の気持ちの整理の付け方でしかないと思ってしまう。あと、金銭面。


僕が言いたいのはこの「もういいよ」ってのは例えばバナナマンのライブは毎年DVDが発売されることが『ほぼ』確約されている。でもあくまで『ほぼ』。
バナナマンのお二人自身もお忙しい中、設楽さんはオークラさんと共にネタを書いてるしその横で日村さんは映画『ペット』でもらったマックスの人形で遊んでいる。
だから、この「もういいよ」には「しょうがない」という意味も含めての「もういいよ」である。
自分の頭の中にある広辞苑に「もういいよ」って言葉があるなら大体こういう意味で掲載したい。


「もういいよ」って思うようになったのは色んな理由がある。今年の3月に山里亮太の140に行き、出待ちでサインを貰いラジオの話が出来た時泣きそうなぐらい嬉しかった。
ラジオにおける自慢が一つだけあるとすれば大喜利甲子園2018にて4通採用していただいたこと。
このことを報告してみたらRNは把握されてなかったが、「すごいじゃん!」と言っていただいた。
山里さんにしてみれば沢山いるファンの中の1人でしかない自分だけど、見ず知らずの人間なのにやっぱりあの人は心の底からの言葉って感じがして嬉しかった。言葉って伝わるもんですね。

何でもランキングのコーナーで勢力を拡大しつつある、北海道アベンジャーズや最近クレイジーさが目立ってきた埼玉勢に比べると圧倒的に狂ったメール、頭のおかしいメールなんて書けやしない。そんなメールに憧れてはいるし、「憧れたら負け」なんて言葉があるから悔しい。

親友と言っても過言では無い某リスナーと初めて会って沢山、ラジオの話をしたあのハロウィンの夜。
街には地元では考えられないぐらいのドセクシーなコスチュームをした人々の群れをスルーして色々喋って「読まれてー!」なんて思っていた時期があった。

2人ともその時期はそれなりに読まれてたからなんか調子乗ってた気がする。
でも、基本は読まれないことの方が多いのに。

って思えるようになったのが本当にここ最近。

出来ないことは出来ない。
でも、出来るようにならなきゃいけないことは沢山ある。
だから、人生面倒くさい。
何年後かに友達と税金とか子育てとかの話でウンザリするの絶対やだな。
出来れば人に会った時は明るい話したい。

「もういいよ」って思うようになったのはいつからだろう。
いい意味でも悪い意味でも。


やっぱり色々大きく影響したのは自分が好きな芸能人に影響をアホみたいに受け倒しているからだろう。


昔はインスタで気取った感じの写真や街中のカップルを妬み嫉みとしていた。
それを笑いと共感に替えている、山里亮太若林正恭バカリズム小木博明etc…


そんな笑いが好きだった。そういう人がセンスがあると思っていた。

でも、最近それがイタいというか結局、一度自分が冷静になって考えた時に思うのは「そこにそれだけの熱量を注げるのになんでその時間を他のことに充てないの?」や「お前、人イジれるほど偉いのか?」ってこと。それにあの人達はあくまで「ネタ」として喋っている部分がある。本気で妬み嫉みしているのだろうか?と思うようになり、本気で妬み嫉みとして喋っている人にドン引きするようになった。



あと第一、あの人たちはセンスの塊。
センス磨いて今の地位にいる。
センスが無いなら努力するのが当たり前、妬み嫉みは二の次。それをエネルギーに変えなきゃいけない。

あれ、これどっかで…

あ、山里亮太著「天才はあきらめた」に書いてたようなことの受け売りだ!多分!


ダッサ!自分、ダッサ!
オリジナリティ無いわー!




今、とりあえず心を落ち着けてまず人をバカにする前に自分を見る。というか、人を安易にイジったりしない。
知らないことを知らないと偉そうにしない。
一回、飲み込んでみる。
やってみて合わないならしょうがない。
あと、ラジオに比重を置き過ぎない。

こういうこと言ってダサいってなるんだったら、世の中なんてクソ食らえ。
と、才能も何にも無い人間なりに考えたワケです。


多分、「読まれてー!」って思ってた時期はラジオさえあればと思ってたけどその某リスナーと3月に会った時、もうあんまりメールを送ってないことと言っていた。
お互いにプライベートで色んなことがあってハロウィンの時ほどの気力が無くなったっぽい。

ラジオならメールという文面上ではサイコだの頭おかしいだの面白いだの汲み取ってくれても、それ以上のことは中々伝わらない。
文字は文字でしかなくて文字以上にも文字以下にもならない。だから、中々胸を打たれるような本は少ないんですかね。
その悔しさを名探偵ラブレス先生と中村佑介展に見に行った時に感動を覚えると共に痛感したってのが今年の夏の数少ない思い出。
ちなみに余談なんですけど中学の時、美術の成績が2で非常に絵心の無い人間だからそう思ったのも要因ですがね。


心境の変化と共に生き様は変わると思うので、ナタリーの記者に「あなたの今の生き様とは?」と聞かれたら(聞かれるワケねぇだろ!気持ち悪いなぁ!謹慎しろ!)
ダイヤのAに出てくる小湊亮介という人物のような生き方と答えたい。
ちなみに小湊亮介は2番セカンドのゲームと相手ピッチャーをかき乱すバンドやカットが得意な小柄で身軽な生まれながらのまぁそういうタイプのプレーヤー。
入部当初はユニフォームのサイズすら合ってなくてブカブカで体格にも恵まれてないからこそ迷わずいつもクソったれって気持ちでプレーをしていると発言していて、あと…


このまま行くとダイヤのAのブログみたいになるのでここで留めておきます。

今度、分からないけど美術館行ってみようかな。
ダーツとかしてみようかな。
何でもいいから何かにつながることを願うばかり。

とまぁ、ダラダラ連ねた所で。
まずは名探偵ラブレスさんと見に行った中村佑介展。
あの時見た感動をどうやったら文字で伝えられるんですかね。絵、上手くなりたいわぁ。






そして、影響をアホほど受けた若林正恭著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」。

本って自分から開かないと読まないという特性がある分、ネタバレは避けたいのですが楽しく若林さんらしい考えのもとでのキューバ旅行記が書かれていているのですが最後の最後でなぜ若林さんがキューバへ1人旅行をしたのかが書かれています。
今まで楽しかった分、そんな展開になるとはと思い涙が出そうになりました。
人見知り学部もナナメの夕暮れも全部生き様で書かれている。
生き様芸人。生き様人間。



「もういいよ」っていう気持ちがストッパーになってくれるのはありがたいことだと思うけど、そのストッパーを外して下積み時代の若林さんみたいに道路に寝転がって車に轢かれてやる!ってことぐらいのことはしたいなぁ。
でも、轢かれたら死ぬからやめとこ。





気が向いたらまた書きます。

2.〇〇の器-拾うまでもない話

バイトを始めて1ヶ月ほど経つが未だにミスが多く凹んでいる。

オーダーミスもたまにするし、レジ打ちもまだ慣れず厨房にも色々迷惑をかけることが多々ある。
その度に店長に注意されたりするのだが、正直怒られることに対してはなんとも思っていない。
言い方に語弊があるが怒られることよりも自分の仕事の効率の悪さ、飲み込みの遅さ、不器用さなど上げればキリがないほどのそういった数々のことの方が勝つので怒られることより反省しなければならないことに比重が偏り、天秤にかけたら圧倒的にそっちに傾くのである。


昨今、パワハラだの炎上だのでこれがダメあれがダメという世の中になっている。だから僕さえその気を起こせば、僕を怒るあの店長もどうにかなるのでは?とかアホなことをバイト中に考えたりそうでもなかったり。


性格的なものもあって両親に反抗出来ず、ここまで生きてきたので誰にどれだけ理不尽なことで怒られても自分を責め立てる構図が自分の頭の中で出来上がっている。ちなみに怒られている時に本当にイラッとした時は太もも辺りをギューっとするようにしている。(この事をこの前初めて人に話したらまぁまぁ引いてた。)
ところで、これはアンガーマネジメントと言えるんでしょうか?お客様の中にどなたかアンガーマネジメントはいらっしゃいませんか?


なお、決して僕は店長に対して怒っているワケでもないしただただ自分の要領の悪さに憤りを感じているまでだ。悪しからず。

自分は昔はとてつもなく短気でそのことで人に怒られたりトラブルを起こしたりしてしまったことがまぁまぁあり、その経験を経て今はなんとかアンガーマネジメントという武器を自分の中に持っている…つもり。


先程は昨今パワハラだの炎上だのが増えたと言ったがそもそもは怒る人が増えすぎたように思えてならない。


それの決定打とも自分で思えたのは今年の正月だったか久々にバナナマンバカリズムの番組が復活するとのこと。
喜んで見よう!…と思ったのだが、内容は女性タレントがこういう女性いるよね!ってのにひたすらキレるという内容。大好きな3人がMCだったが、途中で胃もたれしてしまいTVを消した。


昔はそれこそ自分もそういうので笑っていたので強く拒むことも否定も出来ないがどこかでもういいやと思うようになり、そこに刃を向けること自体減った。


ここまででの自分で書いたことを自分なりにまとめると、結局みんな受け止める器が何かしらの形で欠けて削れてしまったように思えた。もちろん自分も含めて。
ハラスメント、不謹慎、下品、不愉快などでクレームの電話をする人の受け止めるための器の小ささ。
それらの原因を作ってしまうすぐ怒る人の器の小ささ。
人をナナメで見て笑ったり怒ったりすることの器の小ささ。
こういう文章を書けば自分はちょっと優位に立てると思ってしまっている自分の器の小ささ。


同級生の同窓会の誘い方とかサークル特有のノリとか
モラルのない何かのファンとかSNSに載せた所で話題になるだけなっておしまいだから、載せて何になるんだろう?とまで思うようになったのでSNS全部やめようかなと思うことが増えたりもした。

でも、実際そう思うことが増えて、増えるぐらいならやめようと思ってズルズルして今に至る。

誰かが人を笑わせるより怒らせる方が簡単だなんてことを言っていた。その意見を聞いてからTVを見ると確かに!ってなる番組をよく見るような気がする。
毎回「何に怒ってんのこの人たち?」って思う番組のCMが多いし、一番酷いなと思ったのは某お昼の番組。冒頭からいきなり「世間は今何に怒ってるのか?」という街頭インタビューから始まる。
前番組だった国民的番組とは真逆中の真逆。
だって前番組はタイトルに「笑って」って付くからね。









とりあえず自分でこうやって書いてみて思ったことは二つ。
器を大きくすることとアンガーマネジメントをしながら人を笑わせられたらいいな。




2年前の夏に人生初めての入院を経験した時の話。
男女別にお風呂に入る日が決まっているので入れるのは一日置き。確か男子は月、水、金に入れたはず。
そんな病院のお風呂なのですが、僕は潰瘍性大腸炎という胃の病気だったので消化器内科という所に入院していました。そこは病気の内容もあって、同年代はほぼおらず年配の方が多め。
話し相手もおらず、まぁ何とも言えない日々でした。
そんな中、とあるお風呂の日。
たまたま一緒になったおじいちゃんがとても気さくな人で話しかけてくれました。
そのおじいちゃんが色々とこれまでの人生経験の話をしてくれたのですがこれがとにかく胸に刺さり今でも覚えています。

何度も入退院を繰り返して薬を何種類も飲みながら、登山を趣味にして山を登った時の快感を生きがいにしていること、そして奥さんを亡くしているにも関わらずその人はとにかく明るかったです。
登山をしているだけあって身体つきは年齢とは裏腹にとてもいい身体つきをしていました。

その頃の自分と言えば人生初めての胃カメラや入院を経験したり13年飼っていた愛犬が天国に旅立ったりもあって、とにかく落ち込んでいた時期でした。




しかし貴重な話を聞いて自分の置かれている立場、弱さ、心情全ての器の小ささに打ちひしがれた感覚。

あの時、あのおじいちゃんがせめてどこの部屋の人かぐらい聞いておけばよかったな。




寛容的で器の小さい人から後悔していくかのように出来ているような世の中。
その器も怒るべきや悲しい時には割るべきではあると思う。

1.イヤホン-拾うまでもない話

外出する時に必ずイヤホンを必需品として持ち歩いている。

音楽を聴くのが好きでどこかに行く際にこの曲を聴きたいなどの気持ち故にということと余計なことを考えることなく外を歩けるからだ。

アジカンを聴いてれば自分の中の何かがフツフツと煮えたぎる。
サカナクションを聴けば雰囲気は夜になるし、夜に聴けば尚更夜を感じる。
back numberを聴けば勝手に失恋した気分になる。
クリープハイプを聴けば自分の中の汚い部分が露骨に出てくる。
ベボベを聴けば勝手に青春に戻った気が起こる。


決まって1人になれば、ほぼほぼイヤホン。
ただこのイヤホンを耳にする行動が果たして自分の中ではプラスなのかと思う時がある。

近所のコンビニに行って買い物をするときに、イヤホンを耳にしながら会計を済ます際に聞かれた事を聞き返してしまうことがある。
今、飲食店でバイトをしているので接客業の裏にある背景に少しずつ触れ合っているつもりなので、自分みたいなイヤホンをした人がレジに来てこういうやりとりをされると目の前にいる店員は「もしかしたら『イヤホンしてるから聞こえねぇんだよ!』と思ってるかもとか考えてしまう。

あと、恥ずかしながら自分は運命の出会いがあると割と信じている。(ダセェなぁ!)
だからこそイヤホンをしている自分には話しかけにくいと思うのでは?と考える瞬間がある。何かしらの勧誘とかしようと思われても、「あの人イヤホンしてるしな…」と思われてるかもしれない。
多分、自分は無数に存在する運命の出会いを逃している気がする。



そうやって考えてしまう自分が行き着いてしまう終着駅は「イヤホンなんかすんな!カッコつけんな!接しろよ人と!音楽なんていつでも聴けるわ!」。
さらに終着駅のその先には「携帯が邪魔なんだよ!それさえ無ければイヤホンしなくていいんだよ!」。


なんて考えてる間にも誰かが誰かと接して、出会って喋って何かが変わっているのにポケットとカバンに2種類のイヤホン。


何かを埋め合わせしているようでどこかに空間を作ってしまっているような魔法兼中毒性のあるアイテム、イヤホン。


いっそのこと全部処分出来るならしたいけど、それが出来ないの、嫌だ本当。



銀杏BOYZの歌詞でも「僕の部屋は僕を守るけど僕を1人ぼっちにもするよね」とあるのでイヤホンはそういうこと。悪く言ってしまえば諸悪の根源。


最近はじっくり音楽を聴く時はベランダに缶コーヒー片手にサンダルで聴くようにしてる。(気持ち悪ぃなぁ!謹慎しろ!)

とりあえず夜中とか朝方なら誰にも言われないので、自分の気持ち悪い部分とか要らないものはベランダにゴミ袋パンパンになるぐらいに捨てるようにしよう。
大丈夫かな、いつかベランダに足の踏み場とかなくなるんじゃないかな。


イヤホンをつけるのは正義か悪か、正か誤か。



多分、答えは一生出ない。




ミスチルを聴きながらの送信

ナナメを諦めるまで

ここにしか吐き出せないようなことを書かせてもらいます。
恐らく暗い話になるので、読まなくても結構です。



一人暮らしを始めてもう1年経とうとしてます。
実家からの荷物を届けてくれた黒猫のおじさんが自分のことを「〇〇君」と呼ぶようになりました。
もう二年目?なんて軽い会話もしました。

この一年、何があったかななんて思い出そうとしても年齢を重ねるにつれて時間が経つのは早いなんて皮肉にも言ったもので何も覚えてません。
覚えてることは2度目の入院をしたこと、人生4回目の失恋をしたこと、一時期とにかくヤバかったこと。



一つずつ振り返ると入院は一昨年の夏以来で一人暮らしをしてからは初めてでした。
実家から車で父親が2回ほど来てくれたんですが、これと言って話せるようなトピックスが無い。
湊かなえさんの「少女」という小説で病院はこの世で死に一番近い場所と表現されてましたが、まさにその通りだと思う。
まず白すぎる。衛生面を保つことを考えたらそりゃそうなんだけど白すぎる。ハリーポッターダンブルドア校長が2人で話してたシーンぐらい。(何作目かは忘れた)。
そして何をしていいか分からない。
2週間弱入院したんですが、前回の入院の経験からまず本を沢山持って行きました。村田沙耶香さんのコンビニ人間は意外と自分には刺さらなかった。

病院という場所が嫌いなのはもう一つ理由があって1回目の時は実家の方で入院。
自分は潰瘍性大腸炎という症状で入院しました。
この病気がやっかいなのがまず原因が分からない。
そして急になるもので若者に多い傾向にある。
ある日やたらトイレに行くようになりしかも便が毎回水。最初は元々、牛乳を飲んだらお腹がすぐ痛くなるぐらいなのでそんなに深く考えてませんでした。
そして食欲が湧かない。ノンストップで設楽さんが差し替えても食べたくないしなんなら吐き気すら覚える。
極めつけは便に血が混じっていたのでこれはヤバいと考え、すぐ近くの内科に行きました。
その後、大きな病院を紹介して貰ったんですがすぐに胃カメラをやることに。


しかも、この胃カメラが麻酔無しの下から入れるタイプ。この手術の日は午前中は胃をキレイにする為に薬を飲むということで午前中が終わりました。不味くて1回吐いたし。

手術は地獄みたいなもので胃カメラの先から空気が出ているのでずっとお腹が張っている状態でとにかく気持ち悪い。二度とやりたくない。
この手術で潰瘍性大腸炎が発覚し、薬を飲むことで落ち着いたんですがしばらくして今度は食道が細くなり4日連続ぐらいで吐いたりなんかして結果入院。
この入院中に胃カメラの手術も2回しました。
この2回は麻酔ありだったので助かりましたが。

入院した際、4人部屋だったのですが夜中に同じ部屋の人がずっと吐いてたりするのをカーテン越しに聞いてなんとも言えない気持ちになりました。
胃の病気なので消化器内科という所に入院してましたが、自分ぐらいの年齢の人はおらずとにかく孤独。そして壁は白い。

そして、この時何よりキツかったのが13年間実家で飼っていた愛犬が天国に旅立ちました。
土曜日の朝、落ち込みながら病室にやってきた父親。
父親の涙は久しぶりどころがもしかしたら初めて見たかもしれません。
こっちが泣いてる顔も見せたくなかったのでトイレに行って顔を洗いました。
前日、最後の力を振り絞るように鳴いて天国に行ったのですが何が悔しいかというとその次の火曜日に退院が決まったこと。入院が嫌いになった瞬間です。
父、母、姉は最期の瞬間を見れましたが自分だけが見れず入院したことをこの日ほど恨んだことは無かったです。
外出許可を貰い、自宅に一旦戻りましたが家に帰って目にしたのは段ボールに入って動かない状態の愛犬。
触っても動かないし冷たい。この様子を写真に収めるべきか迷いましたが、やめました。
病院に戻り、真っ先に自分がしたのはとりあえず悲しみに浸り忘れるということで乃木坂46の「サヨナラの意味」と星野源の「くだらないの中に」を聴きました。その夜、ジョブチューンで楽しそうにひな壇に座るバナナマンのお二人を見てちょっとだけ笑えました。


そんなこんなで1人暮らしを始めてからの入院。
実は1回目の時に退院する際、再発はほぼ無いと言われていたもののまさかの再発。再発の原因はストレスが関わっているかもと言われました。


2回目の入院はそこまで困ったことは無かったけどやっぱり1人は心細いし窓から見える陸上トラックとかサッカーの様子とか見てると何やってんだろ?ってなって嫌ではありましたね。
でも、そこまで大きく困ったこと、イヤだったことは無かったかな。そういえばオールスター後夜祭があったのはこの時。


続いて人生4回目の失恋。
ちなみに1回目が好きな人に目を見てキモいと言われ、2回目が三角関係的なことになり面倒くさくなり、3回目は彼氏がいる子に告白して真っ向勝負でフラれました。
説明するの面倒だから、こんな感じにしときます。

で、4回目は友達に誘われた飲み会でたまたま知り合って意気投合した子とLINE交換して、その子のバンドを早朝7時に出かけて2時間かけて見に行って上手くいってたはずがその後、何の理由も無しに急に嫌われて。
お願いなんで私のことは早く忘れてください
なんて言われちゃって。
本当に嫌われるようなことしてないからしばらく人間不信みたいな感じになりましたよね。
もしかしたら少しLINEがしつこかったのかもしれないけど。


最後にヤバかった時期の話。
これは本当に笑えないかもしれませんが、ちょっとだけ精神科医にお世話になったというか通っていた時期がありました。
朝起きたら確実と言ってもいいぐらい頭痛がする、食欲が湧かなくて正直2日ぐらいならご飯食べなくても大丈夫、やたら目が疲れるしイマイチ眠れない。
そして何より楽しいはずのラジオもあんまり面白くない。
色々迷ったあげく、占いと同じぐらい信用していなかったけど精神科医しか逃げ道が思いつきませんでした。
とりあえず色々と話をして聞いてもらって睡眠薬を貰いました。
この話は友達の中にも1人にしか話してないし、親にも話してない話です。



正直な話、この一年「死にたい」って思うことが少なくなかったです。
夜中に家の近くの陸上トラックを走ったり、自転車を適当に漕いだりなんてこともしました。
姉が持っていた漫画で主人公の人間関係に悩んだ女子高生がリストカットに走ったなんて描写があったけどこの時期の自分にとってはその主人公におけるリストカットが安定剤とするならそんな行動が安定剤と思ってました。



自分より不幸な人、苦しんでる人がいると言ってしまえばそれまでだけど何となく人を信用してない一年だったとも言えます。
でもこの一年それなりに実は楽しいこともあったりして、友達に誘われて初めてヤフオクドームに野球も見に行ったし東京03を生で見たりクリープハイプも久々に見れたし、4回目の失恋後には大好きなオードリーのお二人とバカリズムさんを生で見れたし、生星野源を見て泣きかけたし、山里さんとも会って「お、リトルトゥースか」なんて言ってもらえたし、小林賢太郎が生きてるかどうか確認も出来た。

一つだけ言えるのは「死にたい」と思ったことはあっても実際に自分は死のうとしたことは一度も無かったです。
まずそんな勇気も度胸も無いし、あったら実際にしてるし。
一つだけ信じてたのは絶対に生きてれば何かあるってラジオに教えてもらったから。


もう大人の人間ではあるけど少し前にワイドナショーで松本さんが「大人が死んじゃいけないって声を大にして言わなきゃいけない」って言ってたのが今なら分かる気がする。
死んじゃいけないし、まだやってないこと沢山あるのに死ねないんだよと。


入院中に読んだ1冊の本に書いてあった。
その本の著者がとある先輩に「今、幸せ?」と聞かれた時に答えられなかったと。
その先輩は世に圧倒的に名前を残したと。

別に自分は天才でも無い。
ラジオにメールをちょこちょこ送ってたまたま運の良いことにすぐ読まれて少しだけ天才だとか周りの人とは違うとかみたいに思ってたのかな。
だから、友達のラジオリスナーに電話出たことあるとかこれに採用されたとか言いたがるんだろうな。


色々書いたけど、今は食欲もあります。寝れてます。
ヤバかった時よりはラジオで笑えてます。
でも、あんまり友達はいないし彼女なんていません。


前より圧倒的に自分が違うのはそんなムカつく嫌な自分ともう少しだけ正面からぶつかってみようと思う。
ぶつからないで猫だましばっかりしてるから今止まりでしかないし。


明日までは生きてみようかなって感じで毎日生きてればとりあえず死なないで済むと思いながら、とりあえずこのブログをお開きにします。
デートって楽しいんだろうなぁ。


実はこのブログ、2冊の本の感想を書くつもりでしたが途中でやめました。
面倒くさい社会だから、お前なんかが感想書くな!とか言われそう。別にそんな声はそもそも上がらないと思うし、何より嫌われることは特に気にしてないけど本の感想は夏休みの読書感想文の宿題までに収めればそれでいいのかなとも思ったりしたし。
長々と書くのは違うのかなとも思いまして。

その2冊の本、最高なんでタイトルから察して各々で読んで下さい。


最後に2013年からバカリズムさんや有吉さんといった有名人のTwitterを見たいがために始めたTwitterですが、辞めます!!!!!!









…といきなり宣言して辞めるかもしれませんし、ある日急にポッと消えるかもしれません。
ここ一年でやめようかな?って思うことが増えたので。言うならば脱臼ゴリラと同じ感じでやめる時はやめるかなと思います。






全体的に暗めのブログになったのでおススメの曲でも書いて終わりでーす。(小宮さん風)


Base Ball Bear 歌ってるんだBaby.[1+1=new1 ver]

静かなラップでクリーピーちゃんとか好きな人に勧めたい曲。小出さんはラップも上手い。

クリープハイプ わすれもの

映画「私たちのハァハァ」主題歌。
疾走感溢れる1曲。

きのこ帝国 WHY

アップテンポで切ない。佐藤さんはこういう感じ出すのが上手い。

YUKI 漂流教室

銀杏BOYZ漂流教室をカバーした1曲。
カバーアルバム「きれいなひとりぼっちたち」に収録。
歌詞の題材が悲しいのに明るくなれる。

それでは










おやすミッフィーちゃん。

不幸とバンドとTシャツと

ハンカチを洗濯するのを忘れてて慌てて起きた
知らない人が寝てる間に来てたっぽい
諸々の事情で友達からの用事を断り
とにかく焦りからバタバタと動いた
なんとか洗濯と掃除を済ませたらスッキリした
生ゴミをまとめるのをそういえば忘れてて
ミカンの皮を生ゴミの袋に入れてゴミを出した
サンダルをベランダから持ってきて外に出た
「ん!」ポストからはみ出すほど大量の郵便物。
耐えきれないほどの鼻をつく臭いを我慢した。
「ん?」ゴミを出そうと、しゃがんで気づく
ジャージのヒザの部分が破れてたのを忘れてた
淀んだ空から雨が降ってくるわでもう最悪。
「うわっ」と独り言をつぶやいた。
ビールの缶が臭いの主犯っぽい。
弟からLINEが来てたので一旦、自分の部屋へ。
「メアド変えました。登録よろしく。」
でも、あいつ、メールそんな送らないじゃん。
と、今度は心の中で独り言。
上に来てたジャージを洗濯機に放り込んだ。







ジャージの下に着てたのはバンドのTシャツ。
そういえば、このバンドのLive最後に行ったのいつだっけ?

あ、高校の時だ。


あれ、そもそもなんでこのバンド好きなんだったっけ?

あ、ラジオで曲が流れてたのを聴いたのがきっかけだったな。


何のラジオだったっけ?


あ。


そういえば、あの時、あの人、泣いてた。





引き出しにしまったiPodにイヤホンを刺してみる。
あ、まだ動くんだ。

iPod独自のカリカリ音が懐かしい。
アルファベットのA、B、C………



I、J、K、L、M………………あった。
あのアルバムの最後の曲、13番。

ふと思い出して、見つけ出してあっという間に過ぎていく3分7秒。



久々に聞いていつもの座椅子から5分弱動けなかった。




重い腰を上げてiPodとイヤホンを引き出しにしまって、晩ご飯を食べに外に出た。
とりあえず、思い出しちゃったことだし。



元気で幸せに暮らしてますように
あと、腰の持病が少しでも良くなってますように





ずっとハッピーエンドばかり待っている
今年も無事 終わりが迫った
残り少し もう少しだけ 頑張ってみる



また来年になっても/My Hair is Bad




また来年。

いつか自分を好きになれるように

「劣等感を抱える=自分のことしか考えてない」




面倒くさい人間よりだから常に人より劣ってるとか、自分には才能が無いって感じで生きてきて今に至る。




でもそもそも日本人ってそういう人が多いし、なんならむしろ多すぎると思う。



よく友達に悩みを相談してた時期があったけど、ある日から突然それを止めようと思った。
理由としては、自分が悩みを相談すると何となく周りの空気が重くなってイヤな雰囲気になるからという理由で。

ただどうしても自分は考え混んでしまうタイプの人間らしく、色んなことが同時に出来ないらしい。結局、誰かに相談しても一人で抱え込んでもダメっぽい。



それでも何にも成し遂げられてない人間だけど、人生ってのはどうにでもなるってことをラジオから教えてもらった。







某有名バンドのギターがある日突然飛んだけど今でも3人で続けてたりするし、イジメに遭ってた人間がドームツアーしたり学生の頃の唯一の支えだった番組に出演してたりする世の中。

その一方で、泣きながら誰かを支え続けて、惜しまれながら進みたい道に進むべく第一線を退いた人がいた。
アーティスト的な理由で番組を辞めた人たちもいた。
最終回まで自分のスタイルを貫いた人たちもいた。





知っててよかったことも知らなきゃよかったことも沢山あるけど、「知らなきゃよかった=知らなかったら、変われなかった」ことかもしれない。






つべこべ色々言ってみたけど、結局こうやって色々言ってるってことは自分が嫌いだからだと思う。
タイトルとまるで言ってることは違うけど。

才能も人望も無いし、たまに家にある鏡に利根川とEカードをやる前のカイジみたいに頭を思いっきりぶつけたくなる日があるし。
でも残念ながら、今さら誰かと人生は変えられないし鏡に思いっきり頭をぶつける勇気も無い。





誰かになりたい、あの人みたいになりたいって思うのが当たり前だからって思えるようになってきた。
昔だったら嫉妬しておしまいだった自分。

今でも嫌いだし、好きにもなれないけどいつか好きになれるのかなと思いながら生きられたらそれでいいや。





何となくそうやって自分の中で意識を変えてくれたのはそういう人に出逢ったからかなと思ってる。
とりあえず何か変える為に少しずつ動かなきゃと思いながら。





舞台に立つ時は喜んで見に行かせていただきます。楽しみに待ってます。
ご卒業おめでとうございます。